ワンモア・ベイビー・ラボ
【ワーキングマザーの声】ロールモデルが不在でも、自分の信じた道を歩んでいく
秋山 開
2026年11月04日
結婚、出産、育児。そして仕事。人生のさまざまな選択を前に、誰かの経験を参考にしたいと思うことは少なくない。しかし、身近に手本となる人がいなかったら、どうすればいいのだろうか。
約1,000人規模の医療・福祉関連企業で事務として働くフミ(仮名・30歳)さんは、幼い子を育てながらフルタイムで勤務するワーキングマザーだ。人事や総務、広報など幅広い業務を経験し、現在は後輩を指導する立場にもなった。
ところが、同じ職場の総合職には出産・育児を経験した女性の先輩がいなかった。妊娠中には予期せぬ長期入院を経験し、育児休業からの復帰も計画どおりには進まなかった。それでも、周囲の支えを受けながら、自分が望む働き方を少しずつ形にしてきた。
「ロールモデルがいなかったからできた部分もあると思うんです」
そう語るフミさんに、仕事と育児を両立するための工夫や、キャリアへの思い、これからの生き方について聞いた。
「いつもどおりに働きたい」。その思いを尊重してくれた職場
フミさんが勤務するのは、医療・福祉関連の事業を展開する企業だ。新卒で入社して以来、人事採用や総務、労務、広報など、さまざまな仕事を担当してきた。
結婚後も仕事を続け、妊娠がわかったときには、まず日頃から一緒に仕事をしている直属の男性上司に報告した。
「わたしが仕事を頑張りたいということも伝えていたので、周りは本当にいつもどおり働けるように、そっとしてくれていたんです」
妊娠したからといって、本人が望まない業務の制限を設けることはなかった。フミさんにとって、それはありがたい対応だったという。
しかし、妊娠中期に思いがけない事態が起こる。体調の変化を感じて受診したところ、医師から入院を指示されたのだ。
当初の予定より早く仕事を休むことになり、十分な引き継ぎもできなかった。担当していた仕事は、直属の上司や先輩が引き受けてくれた。
「最初の1、2週間は、職場からいろいろ連絡が入りました。でも、普段から先輩とは仕事の進み具合を共有していたので、何とか対応してもらえました」
仕事を続けたいという気持ちは強かった。
しかし、通勤中のリスクなどを考慮して自宅療養を勧められ、その後は再び入院することになった。
そんなフミさんを支えたのは、職場からの言葉だった。
「上司から『帰ってくるのを待ってるね』と言ってもらえたのは、嬉しかったですね」
さらに先輩からは、フミさんにとってトップといえる上司が、フミさんの仕事ぶりを高く評価していたという話も伝えられた。
「嬉しさもあったんですけど、その期待に応えられないという気持ちも大きかった。でも、産んでから復帰するまでの間、支えてくれたのはそういう言葉だったと思います」
出産後の職場復帰でも、上司の柔軟な対応に助けられた。
フミさんは当初、育児休業からフルタイムで復帰するつもりだった。しかし、保育園の慣らし保育中は早い時間に迎えに行く必要がある。勤務時間を短縮すべきか迷って上司に相談したところ、残っていた有給休暇を活用する方法を提案された。
その結果、慣らし保育の期間を乗り切り、希望していたフルタイム勤務を実現できた。
様々な制度が整っていることは、ワーキングマザーのキャリア形成にとって大切な要素だ。しかし、それだけですべてがうまくいくわけではない。フミさんの話から伝わってくるのは、普段から仕事の状況を共有し、困ったときに相談できる関係を築いておくことの大切さであるのかもしれない。
男性の先輩と同じようには働けない。その悔しさを乗り越えて
フミさんは幼い頃から、比較的若いうちに結婚し、子どもを育てる人生を思い描いていた。
両親が若くして家庭を築いていたこともあり、結婚や出産は自然な将来像だったという。しかし、大学を卒業して働き始めると、自分の親の世代とは社会の状況が違うことにも気づいた。
「わたしの時代は、女性が働くのは当たり前という社会の流れだったので、自分の親が生きていた時代とはちょっと違うんだなと、社会人になってから自覚し始めました」
仕事を続けながら結婚し、出産する。その選択をしたフミさんだったが、職場に参考となる先輩はいなかった。
同じ部署のメンバーは男性が中心で、フミさんは数少ない女性社員の一人だった。育児をしながら同じ仕事を続けてきた女性の前例もなかった。
一方、年齢の近い男性の先輩は、結婚して子どもが生まれたあと、育休こそ取得したものの、育休明けからバリバリと仕事を続け、経験を積んでいた。
「先輩がやってできたことを、わたしができない。物理的な時間の問題でできないというところと、母親と父親として求められることが違う。それが仕事に少なからず影響するのは、悔しかったですね」
会社は男性にも女性にも育児休業を認めていた。それでも、妊娠や出産を経験する女性には、男性とは異なる制約が生じる。フミさんの夫は育児に関わりたい気持ちこそあるものの、職務の関係上、最低限の育休を取得するのが精一杯であった。
制度上の平等だけでは埋められない違いを、フミさんは実感した。
とくに妊娠中は、仕事の機会を逃したくないという思いが強かった。
「先輩が仕事をしている姿を見て、追いつきたいけど体がついていかない。そういう焦りはありました。だから、妊娠していてもいつもどおりに働こうという気持ちが強かったんです」
予定外の入院によって、担当するはずだった仕事を先輩に引き継ぐことになったときも、複雑な気持ちだった。
先輩が頼もしい存在であることはわかっている。しかし、自分が挑戦したかった仕事を、別の人が担当している。フミさんにとって、それは簡単に割り切れることではなかった。
それでも、育児休業を経て仕事に戻った後、フミさんは再び経験を積み重ねていった。現在は主任として、後輩を指導する役割も担っている。
管理職を目指しているのかと尋ねると、答えは少し意外なものだった。
「役職になったから仕事ができるというわけではなくて、マネジメントをするための権限だと思っているんです」
役職そのものが目標なのではない。自分が果たしている役割や能力を、きちんと評価してもらいたい。その思いが仕事への原動力になっている。
前例がない職場だからこそ、上司も手探りだったという。
「ロールモデルがいなかったからできた部分もあると思うんですけど、いなかったからこそ、上司もわたしに対してどうしていいか手探りだったと思います」
誰かのやり方をそのままなぞることはできない。だからこそ、自分で考え、周囲と相談しながら、働き方をつくっていく必要があった。
思いどおりに進まない出産と復職。仕事と育児の間で揺れた気持ち
フミさんにとって、妊娠中の長期入院は大きな転機だった。
仕事に集中していれば体調のつらさを忘れられるほど、働くことが好きだったという。しかし、入院中は点滴による治療が続き、体も思うようには動かなかった。
「時間はあったんですけど、点滴の副作用で常に体がだるい状態でした」
そんな生活のなかで、フミさんは仕事に関連する本を読み、自分の考えを文章に残していた。
「今の気持ちを仕事にちゃんと生かせるように、忘れないでおきたいという気持ちが強かったですね」
働けない時間を、ただ過ぎていく時間にはしたくなかったのだろう。
出産後も、計画どおりに進まないことがあった。育児休業を終えて復帰しようとしたものの、希望する時期に保育園へ入れなかったのである。
結果として、育児休業を延長することになった。
「“入れませんでした”と決まってからの4か月は、結構精神的につらかったです」
会社はフミさんが戻ってくることを前提に準備していた。本人も復帰するつもりでいた。それなのに、保育園の事情で予定が変わってしまう。
さらに、復帰後の生活にも不安があった。
「4月って、やっぱり仕事が忙しいじゃないですか。娘も新しい環境で大変なのに、休む時間が増えるんじゃないかとか、もし4月にも入れなかったらとか、考えていました」
夫は医療関係の専門職として働いている。現場での仕事が中心で、急な休みには代わりの人員が必要になる。そのため、家庭の事情に合わせて柔軟に働くことが難しい面もあった。
一方で、夫は出産後に育児休業を取得しており、フミさんも家族の支えを受けながら育児をしてきた。
子どもを預ける際には、保育園だけでなく、地域の一時預かりサービスや友人の協力を利用したこともある。
仕事と育児を両立するためには、何もかもを自分一人で抱え込まないことが重要だ。フミさんも、周囲の人たちと協力しながら子どもを育てるという考えを大切にしている。
ただし、助けてもらえるからといって、毎日の時間に余裕が生まれるわけではない。
フルタイム勤務を続けるフミさんは、片道約40分の通勤時間も有効に使うようになった。
「通勤時間に仕事のことを考えたり、情報収集をするような時間にしました」
家に帰れば、そこからは育児や家庭の時間が始まる。以前のように、帰宅後に仕事のことをゆっくり考えるのは難しい。限られた時間のなかで仕事を進めるために、日々の過ごし方を工夫している。
育児休業からの復帰は、単に以前の職場へ戻ることではない。子どものいる生活に合わせて、働き方そのものを組み直すことでもある。
フミさんの経験は、そのことを教えてくれる。
仕事だけが自分の居場所ではない。これから育てていきたいもの
幼い娘を育てながら仕事を続けるフミさんは、これからのキャリアをどのように考えているのだろうか。
「仕事一本でキャリアを積み上げるというより、仕事での居場所を確立しながら、仕事以外のフィールドでの自分の居場所も大事にしようと思っています」
これまで仕事に打ち込み、さまざまな業務を経験してきた。出産を経て職場に復帰し、現在は後輩を指導する立場にもなった。
その一方で、これからは会社の外にも、自分が力を発揮できる場所をつくっていきたいという。
たとえば、自分が暮らす地域とのつながりだ。地域の人々や身近なお店との関係を大切にし、仕事とは別のフィールドも育てていきたいと考えている。
会社のなかで役職を得ることだけが、キャリアの成功ではない。自分の能力を発揮できる場所を増やし、人生そのものを豊かにしていく。フミさんの話からは、そんな価値観がうかがえる。
「これは転職したいっていう意味ではないんですけど、日本の労働市場のなかでちゃんと活躍できる人になりたいというふうに考えています」
もともとフミさんは、若いうちに結婚し、子どもを育てたいと考えていた。実際には、結婚の時期も出産までの道のりも、思い描いたとおりには進まなかった。
それでも、自分が望んだ家庭を築き、仕事を続けている。
また、若くして子どもを育てた両親の姿は、フミさんにとって一つの将来像でもある。子育てが一段落した後も、夫婦それぞれの時間を楽しみながら暮らしている両親の姿を見て、人生にはさまざまな楽しみ方があると感じているという。
仕事に打ち込む時間もあれば、家族と過ごす時間もある。そして、子育てが落ち着いた後には、また新しい挑戦ができるかもしれない。
もちろん、育児と仕事の両立には、本人の努力だけでは解決できない問題もある。
「受け入れてもらえる環境がないと、そもそも子どもをもう一人とか、もう3人目とか、そういうこともできないと思うので」
出産や育児を経ても働き続けられる職場の環境。そして、周囲の理解と協力。その両方が必要だとフミさんは考えている。
職場に同じ経験をした女性の先輩がいなかったフミさんは、自分自身の経験を通じて、仕事と育児を両立する道を切り開いてきた。
これから後輩たちが結婚や出産を迎えたとき、フミさんの存在は一つの参考になるかもしれない。もっとも、本人が目指しているのは、誰かにとっての理想の働く母親になることではないだろう。
仕事も、家庭も、地域とのつながりも。自分にとって大切なものを見失わず、その時々で納得できる選択をしていく。そんなフミさんは、出産と育児を経験したことで、キャリアに対する考え方も変わったという。
「わたしも大学生の頃から子どもを産むまでは、キャリアって積み重ねるものだなってずっと思っていました。だから育休に入ったり、年間単位のブランクがあると、そこがもう崩れてしまう、積み上げられなくなってしまうって思っていたんです。
でも、復帰してみて感じるのは、そこからもやっぱりキャリアが続いていくということ。人生をトータルで見れば、育児も含めたさまざまな経験が仕事につながっていく。キャリアは途切れるのではなく、ずっと続いていくんだなと感じています。









