本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。
この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。
今回ご紹介するのは、「つわりさえなければ、もう1人産んでもいいのに……」と語る目黒ナツキさん(43歳・仮名)とヨシヒデさん(39歳・仮名)夫妻です。そもそも子どもをつくる気がなかった目黒さん夫婦でしたが、ヨシヒデさんの気持ちの変化から子どもをつくることに。2度の流産、9回の採卵、3回の移植を経て、第一子が生まれました。
その第一子を育てるなかで心境の変化があったナツキさんは、ある理由から「子どもをもう1人」という気持ちが芽生えました。DINKS希望だった目黒さん夫婦が子どもをつくることに決めた理由や、2度の流産経験、「600万円ほどかかった」という不妊治療、2ヶ月に及ぶ入院を強いられた重症妊娠悪阻(おそ)、そして2人目を巡る心境の変化などについても詳しく聞いていきます。
この記事の目次
〇子どもは要らないという共通認識のもとに結婚したのち、コロナ禍で夫の気持ちに変化が……
〇流産は耐えられるが、つわりを繰り返すのだけは嫌だった
〇1年半で9回の採卵、通算600万円をかけて妊娠できた
子どもは要らないという共通認識のもとに結婚したのち、コロナ禍で夫の気持ちに変化が……
大学時代の友人からの紹介で出会ったナツキさんとヨシヒデさん。当時32歳だったナツキさんと29歳だったヨシヒデさんは、約1年の交際期間を経て結婚しました。結婚するにあたっては、「子どもはいらない」という価値観をお互いで確認し合ったのだといいます。
「とくに私は子ども好きではないし、子育てをしたいという気持ちもありませんでした。当時まわりで子育てしている人もいましたが、特に羨ましいと感じたこともなくて、『私は子どもが欲しいとは思わない』と伝えました。夫のほうも同じ考えだったようでした。そのあたりの価値観も同じだったので、婚姻までのハードルは低かったのだと思います」
目黒さんは夫婦ともに年収が700万円超のいわゆるパワーカップル。もちろん仕事は忙しいけれどワークライフバランスを大切に、趣味や旅行も楽しみながら充実な日々を過ごしていました。転機となったのは、ナツキさんが40歳を目前にした頃のこと。ヨシヒデさんの気持ちに変化が生まれたのです。
「ある日、かしこまった感じで『話があるんだけど』と切り出されました。なんだろうと思ったら、『子どもが欲しくなった』と。理由を聞いてみると、コロナ禍で気持ちに変化が生まれたのだということでした。私としてはとても予想外の展開でしたが、わりとすぐに承諾したのを覚えています」
なぜナツキさんは承諾したのでしょうか。当時、頭のなかで考えたのは「(夫の)希望を叶えるには、産むか離婚かの二択しかない」だったといいます。
「結局のところ、私が『嫌』といえば夫は我慢することになります。そうさせないためには、離婚しかありません。なので、『いいよ』と答えました。もともとお互いにDINKSを希望しましたが、だからといって『絶対に子どもが欲しくない』というほどのこだわりもなかったですし、まして離婚するレベルの話ではないかなということで、『いったん妊活してみよう』となりました」
流産は耐えられるが、つわりを繰り返すのだけは嫌だった
そのときナツキさんは39歳。第一子の平均出産年齢を大きく超えていました。「どうせ妊活するならば、ちゃんとやろう」と考えたお二人は、当初から自分たちなりにタイミングをみて妊活に臨みました。その結果、妊娠は約3ヶ月でやってきました。
「最初の妊娠は、妊活を始めて3ヶ月のときでした。ただ、5〜6週目のときに流産しました。なにか兆候があったわけではなく、妊婦健診のときに判明したのですが、原因としては自然淘汰的なものだと言われました。無知だったのでまさか自分が流産するとは思っていなかったのでびっくりしましたが、夫も私もそこまで大きな気持ちの落ち込みはなかったです」
産婦人科医から、「妊活を再開するのは、生理を2回見送ってから」と言われたナツキさん。その指示通りにしていると、ほどなくしてふたたび妊娠が判明しました。
「1度目の妊娠は『つわり』まで至らずに流産してしまいましたが、2度目の妊娠ではつわりを経験しました。それもかなり重たいつわりで、相当きつい時間を過ごしましたが8週目で流産になりました。定期検診のエコーで胎嚢にいるはずの胎児がいなかったんです。この時はかなりショックが大きかったです。夫も、最初の流産よりも2度目のほうが落ち込んだみたいですね」
すでに年齢的に40歳目前だったナツキさん。医師からは「年齢を考えたら、(流産は)珍しいことではないが、高度不妊治療を考えてもいいかもしれない」と言われました。結果、目黒さん夫婦は「不妊治療をする」という決断をしました。なぜなのでしょうか。
「高齢の妊娠は流産の確率が高く、またそれを経験するかもしれないことは耐えられる気がしていました。問題は2度目の妊娠で経験した『つわり』です。かなり辛い状態で、もう経験したくないと思いました。なので妊娠から出産までの確率をあげられる不妊治療をする決断をしました。」
1年半で9回の採卵、通算600万円をかけて妊娠できた
そんな辛い経験をするのは、もう絶対に産むときだけがいいと考えたナツキさん。そこで出た解決策が、「PGT-Aを前提とした不妊治療」だったといいます。PGT-Aは、着床前遺伝学的検査と呼ばれるもの。したがって、体外受精による妊娠を目指すことになります。
「当時、もともとそんなに子どもが欲しいと思っていない状況でやばいくらい辛いつわりがくるので、もうそんなのは耐えられないと感じたんです。その気持ちを彼に相談し、PGT-Aを前提にした体外受精をしていくことになりました」
最初の採卵では、2個の正常胚が採れました。そのうちの1つを移植したものの、うまくいきませんでした。そこで子宮内膜検査をしたところ「陽性」、つまり着床しづらい状況になっていたため、治療を施すことになりました。しかし……。
「子宮内膜の治療をして臨んだ2回目の移植もうまくいきませんでした。状態のよい胚は最初に使ってしまったこともあって、胚のグレードが良くなかったことが原因だろうということでした。正常胚がもうないので、ふたたび採卵することになりました。しかし2回目以降うまくいかないことが続き、卵が採れない、培養でうまくいかない、うまく胚盤胞まで育ってもPGT-Aで異常胚が続く、といったことを繰り返して8回も採卵を続けたという感じです」
8回目と9回目の採卵でできたいくつかの正常胚のうちの1つを移植をしたところ、無事に妊娠しました。
「約1年半で9回の採卵となりましたが、私的にはそこまでの大きな負担は感じませんでした。長期休暇のない少し遠い専門病院に一度転院はしたのですが、頻回通院もなく飲み薬だけでやることも多かったですし、コロナ禍で在宅勤務が推奨されていたので通院もある程度融通がききました。金額的には通算で600万円ほど使うことになりましたが、少し貯蓄を足せば支払えるレベルでしたので、経済的な問題もあまり感じませんでした」
何度も採卵をしている間、ナツキさんの頭のなかでは、「(ヨシヒデさんが)もうやめようって言わないかなぁ」という思いもあったようです。
「当時の私は、いつやめてもいいやと思っていました。やめようって言わないかなぁみたいな。私が積極的に不妊治療をしていたのは、『早く終わらせたい』という思いがあったからで、『どうしても産みたいから』ではありませんでした。先ほど言ったように、もともと子どもが欲しいという望みは夫のほうから出たものなので」
1年半の不妊治療を経て妊娠し、ナツキさんは「やっと終わった」と感じたそうです。さらにPGT-Aを経ているため、不思議と流産への不安はなかったといいます。しかし、最大の懸念は妊娠後にありました。つわり(悪阻)です。