本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。

今回ご紹介するのは、今野ケイスケさん(34歳・仮名)とセリナさん(37歳・仮名)夫婦です。お二人には、3歳のころに「自閉症」と診断された4歳になるお子さんが1人います。療育園に通わせながら、ケイスケさんは機械エンジニアとして、セリナさんは教育系団体の職員として働いています。

決められたスケジュール通りの生活でなければ、パニックを起こしてしまう第一子のため、夫婦ともに規則正しい行動パターンで過ごしています。そうしたなかで第二子の妊娠・出産は半ば諦めかけてきましたが、第一子が少しずつ穏やかに過ごせるようになってきたことや、第一子と第二子の年齢差も考慮して、2人目をつくる決意をしました。

第一子を育てるなかでの苦労話や工夫を中心に、詳しくお話をうかがっていきます。

出会ってから2年で結婚し、妊娠・出産を順調に経験、夫は2ヶ月の育休も取得した

もともとシステムエンジニアとして働いていたセリナさん。同じく機械エンジニアとして働いていたケイスケさんとの出会いは、仕事のつながりでした。ケイスケさんが26歳、セリナさんが29歳のときに出会い、ほどなくして付き合い始め、約2年後に結婚しました。

「付き合い始めたころから結婚は意識していて、私が31歳のときに結婚しました。結婚した最大の理由は仕事がかなり忙しかったからです。ちょっとここで一度、落ち着きたいなと思ったんです」

その言葉どおり、結婚をタイミングに教育系団体に転職したセリナさん。給料は下がったものの、自分の時間を保ちつつ、「やりがい」を感じながら働くことができました。そうしたなかで妊活を始めました。

「籍を入れてから、それほど間を置かずに妊活を始めたところ、順調に妊娠しました。夫とも相談したうえで始めたのですが、意外なほどすぐに検査薬で陽性が出たので、少し拍子抜けしたような感じです。もちろんすごく嬉しかったのですが、最初の感想は『そんなに早いんだ』というものでした。夫も同じ感想を言っていました」

多忙だったエンジニアの仕事から離れていたこと、そしてつわりもほとんどなかったことから、仕事をしながらの妊婦生活も順調そのものだったようです。

「もう普通に仕事をしながらの生活でした。つわりもなかったですし、夫も家事はひととおり人並みにできる人なので、サポートもしてもらっていましたし、コロナもまだだったので。出産自体も、予定日より遅れたということ以外は順調だったと思います」

セリナさんの希望で出産の立会いはしなかったものの、ケイスケさんは2ヶ月の育休を取得し、産後のサポートもしてくれたそうです。

「夫はかなりハードワーカーな部類に入るのですが、予定日の4ヶ月以上前から調整して、育休を取ってくれました。忙しい時期だったはずなのに、育休中の2ヶ月はまったく仕事をしている姿を見ていないので、事前にかなり調整してくれていたんだと思います」

かなり早い段階で「自閉症スペクトラム障がい」の診断を受けた

料理もお手の物のケイスケさん。セリナさんが里帰り出産を検討する余地はまったくありませんでした。では、子育て自体はどうだったのでしょうか。

「生まれてしばらく、子育てに関してはまったく苦労しなかったです。とても穏やかで、お腹が空いて泣いたり、何かをやってほしくて駄々をこねるということはもちろんあったんですけど、夜泣きがあるだとか、ハイハイができるようになってから後追いで困るだとか、そういうことは一切なかったです。自分で食べ始めるころに床にめちゃくちゃこぼすみたいなことをよく聞きますが、そういったこともなかったんです」

ただ、目が合わなかったり、自分がやってほしいことを表現しないといった違和感のようなものは、ずっと感じていたのだとセリナさんはいいます。

「感情を表に出さないなということはずっと思っていて、わりと早い段階から発達になにか遅れがあるんじゃないかなと感覚的に思っていました。よく、自治体が行う1歳半検診とか、3歳児検診とかで見つかると言われますが、私の場合はその前段階から怪しいなと思っていて、いろんなところに相談に行っていました。そのたびに、『疑いがある』と言われていました」

実際に発達障がいの診断を受けたのは、2歳になったころでした。

「私たちが住んでいる自治体では、2歳になる前後のタイミングで、発達障がいが気になる子どもたちをチェックしてくれるんです。具体的には、子どもたちを集団で遊ばせてみて、専門家が一人ひとりの様子を観察し、診断してくれるというものです。週に1回を4日間みてもらうのが通常で、その結果、どうしていくといいのかをアドバイスしてくださるのですが、うちの場合は初日の段階で、発達支援事業所での療育を勧められました。それを聞いて、私は『やっぱり』と思いましたね」

ひとくちに発達障がいと言っても、学習障がいやADHDともいわれる注意欠陥多動性障がいなどを筆頭に、さまざまな種類があります。一般に、低年齢であるほど、どういった発達障がいなのかを判定するのは容易ではありませんが、今野さんのお子さんはどうだったのでしょうか。

「うちは、もうわりとすぐに自閉症スペクトラム障がいでしょうと言われました。目が合わないし、表情も乏しく、怒りなどの感情が表に出づらいといったことが理由です」

そうした診断を受けることは覚悟していたセリナさんは、そのとき「自分はラッキーだ」とも思ったのだといいます。なぜでしょうか。

「先ほども話した、転職した先の団体で、学習支援に携わる仕事をしてきました。そのなかで学習支援が必要な、さまざまなレベルや種類の子どもたちを実際に見てきたので、そうした子どもたちに対する理解力が、人よりもあるということで、自分は恵まれていると思いました」

夫婦二人三脚で取り組んできた自閉症を抱えた第一子の子育てとは?

仕事で関わってきたセリナさんの一方で、ケイスケさんはどうだったのでしょうか。

「子どもたちに関わる頻度が多い母親のほうが理解し早く、父親は理解が追いつかないということが少なくありません。でも、うちの場合は私が仕事で携わってきたなかで、夫との会話でもそうした子どもたちとのことを話してきたおかげで、とてもスムーズに理解してくれたと思います」

ケイスケさんの意見は基本的に、「こなしていくしかないよね」というものでした。つまり、「心配しすぎても子どもが劇的に変わるということはないし、いまできること、目の前の課題を一つずつクリアしていくしかないよね」と言ってくれたのだとか。

「しっかりと受け入れたうえで、夫婦で乗り越えていこうと、そのような言葉をもらえて、すごくありがたかったです。そのあたりは彼自身も、自発的に勉強してくれていたみたいです」

そして今野さん夫婦のお子さんは3歳になったタイミングで、幼稚園ではなく療育園への入園を推奨されました。

「データ的に、療育園で生活に慣れてきたら通常の幼稚園や保育園、こども園に転園する子どももいますので、最初は少し期待していました。言葉が出てきて、集団に慣れたら、幼稚園も検討できるかなって。でも、いまは年中の年齢ですが、厳しいだろうなと思っています。子どもがいちばん楽しく過ごせるところであれば、それはどこでもいいというのが、今の一番の思いというか、願いです」

療育園には言語聴覚士や作業療法士が常駐していますが、現在のところは発語することはないそうです。とはいえ、言葉は理解しており、嬉しさや怒りといった感情を、イラストを指さして示すということはできるのだといいます。

「そうした成長は感じられるので、すごいなって思います。ただ、3ヶ月に1回程度、交流保育で近くの幼稚園さんに行くのですが、やっぱり言葉が出てこない分、難しいなと痛感させられています。私たちとしては、療育園にいる言語聴覚士さんや作業療法士さんのアドバイスをもとにして、家庭での環境づくりにも取り組んでいます」

セリナさんとケイスケさんが二人三脚で取り組んでいる家庭での環境づくりとは、どういったものなのでしょうか。

「特性的に、うちの子は1日の流れがつかめていないと落ち着けないんです。何時に家を出る、今日はどこに行く、そういった1日の流れが視覚化されていないと厳しいところがあるので、家にある時計の横にスケジュールを視覚化したボードを置いています。このボード、コミュニケーションツールと読んでいますが、療育園のみなさんと一緒に作りました」

イラストを使うなど、手作りならではの工夫が凝らされているといいます。

「こうしたツールは手作りですけど、子どもにヒットしないこともやっぱりあります。心がけているのは、『ここよりも、向こうに置いたほうがいいよね』ということもありますので、けっこう頻繁に点検をしています。あと、部屋のなかもごちゃごちゃしていると混乱してしまうので、なるべくシンプルにしていたりもします」

いまでは、そのスケジュールボードがなくとも、生活パターンを覚えてきたという今野さんのお子さん。言い換えれば、規則正しい生活で固定されてきたということ。それに合わせる苦労もあるようです。

「夫は仕事に行っているわけですが、もちろん仕事の量は毎日同じではありません。でも、夫の努力で、帰宅時間が変わらないように仕上げてくれています。子どもがパニックにならないように。ちょっとずつ、ちょっとずつ努力してくれていて、そこは本当に助かっています。もともと非常に仕事好きの人だったので、最初は申し訳ないなと思っていましたけど、1年、2年と経って、もうそれ抜きでは生活が追いつかないので、申し訳ないとか思っているどころじゃない、という感じです」

「この子の将来は私たちがいなくなった後、どうなるんだろう」と思ったことも

この2年間の大変さについては、セリナさんはこうも話します。

「すごく穏やかな子どもだったんですけど、1年のなかで何ヶ月かに1回、感情がぐちゃぐちゃになる時期があるんです。たとえばゴールデンウィークなどの連休が多い時期や、夏休み明けとか、やっぱりリズムが崩れる時期というのがあって、そのときには精神的にかき乱されるみたいで、まったく言うことを聞かなくなったり、紙製品をぜんぶ破ってみたり、夜泣きが止まらなかったり。『いままでそんなことなかったのに、そんなことをするんだ』っていう時期があって、振り返ってみるとほんとうに大変だったなと思います」

双方の実家は、少し距離の離れた位置にあることから、子育てを手伝ってもらうことはほとんどないとセリナさん。そこには切実な理由もあるようです。

「私の実家も夫の実家も少し距離があるため、1ヶ月に1回とか頻繁に会えるわけではありません。そのなかで、同じことを繰り返したりする(自閉症スペクトラム障がいの)私たちの子どもを見たら、驚くだろうと判断しました。もちろん手伝ってもらいたいという気持ちもありましたが、それ以上に、その土台作りというか、いろんなことを伝え、理解してもらうことのほうが大変だと考えました。それほど私たち夫婦はギリギリの状態でした。両親よりも行政の力を借りてなんとかやりくりしていこうという選択をしました」

とはいえ、徐々に子どもの生活リズムが安定し、生活に少しばかりの余裕が生まれてくると、双方の両親とも連絡を取れるようになっていったようです。

「私の両親も、夫の両親も、すごくよく勉強してくれていたみたいです。いま思えば、もっと早くコミュニケーションをとっておけばよかったかなと振り返ることもありますね。とくに夫の側の両親とは、勝手に私が気まずさを感じていました」

というのも、ことさら初期の頃は子どもが自閉症になった理由がナツキさん自身にあるのではないかと考えていたからだと言います。

「明確な答えは出ていないことですけど、遺伝するのかしないのかって話がありますよね。私は小学校とか中学校くらいのときには、感情的な部分で集団生活に馴染めなかった時期がすごくあって、子どもを見れば見るほど自分と似ていると感じていたんです。自分の両親も夫の両親も、まった私を咎めたり、責めたりってことがなく、本当に良い人たちばかりに囲まれているので、そのぶん自分を責めているのかもしれません」

そうした苦しみや葛藤は、いまでもときどき波のようにやってくるようです。

「同世代の他の子と比べたりすることは、いまでもときどきあって、そうすると『この子の将来はどうなるのだろうか』と思ってしまいます。私たち親がいなくなったらどうするのか、とかも含めて。そのあたりの話は、夫との会話でも出てくるのですが、いまはもう変な望みを賭けるようなことはなくなっていて、『いまできることをしていこうよ』という共通認識のもと、とにかく一歩一歩前に進んでいくことだけにフォーカスしている感じです」

葛藤してきた2人目の妊活を経て妊娠。そして気付かされたこと

もともと第二子は希望していた今野さん夫婦。第一子の療育や生活の維持がたいへんすぎて無理だと諦めていたのですが、自身の年齢も40歳に近付いてきたり、第一子との年齢差が離れすぎてしまったりするなかで、第二子のことがチラチラと頭をよぎるようになってきたのだとか。

「1人目がそういう感じなので、2人目を産んでいいものか、という葛藤はすごくあって。考えすぎなのかもしれませんが、たとえば2人目が定型発達の子どもだったら、上の子の面倒を見る要員になる可能性が高いですから、『親のエゴ』だなんて言われたりしますよね」

本当に2人目を妊娠していいのか、妊娠を考えていいのか、いままで思い留まる場面がすごくあって、ケイスケさんともその話を何度もしていて、なかなか行動に移せなかったそうですが。

「でも、ちょっと前向きに考えようという時期があったんですが、その短期間ですぐに妊娠したんです」

妊娠し、第一子のときはなかった「つわり」を経験しているなかで、それまで通りの第一子への気遣いができなくなったのですが、それがむしろ良かったのかもしれないと、セリナさんは語ります。

「ちょっと第一子をかまってあげる余裕がなくなって、そうしたら、むしろ伸び伸びしているふうなんです。年齢を重ねて成長した部分もあるのかもしれませんが、細かくなんでも整えすぎていたのかもしれません。予定外なことは、これから就学していくなかでかならず出てきます。予定外なことにも慣らしていかなければいけないと思ってきたなかで、妊娠やつわりの大変な時期でも、子どもがわりと平気で過ごしてくれたので、『あ、少しずつでも成長しているんだ』って思いましたね。良い機会になったと感じています」

ケイスケさんは、第二子についてどんな気持ちでいるのでしょうか。

「もちろん喜んでいますけれど、私と同じで手放しで喜ぶというよりは、第一子の生活のことをどうしようかと、少し頭を悩ませている感じです。これまで本当に、綿密にスケジュール管理をしてきたので、それをどう維持したり、混乱が起きないよう少しずつ移行させたりしていくかを考えているみたいです」

いかがでしたでしょうか。今回は、自閉症スペクトラム障がいという診断を受けた第一子を育てながら、第二子を妊娠された今野さん夫婦のお話でした。

きっと、ここでお話しされたこと以上にさまざまな苦労や葛藤があったのだと想像できます。そうしたなか、「みなさんの参考になれば」とインタビューを快諾していただき、まことにありがとうござました。