悪阻とは、妊娠初期に悪心嘔吐が起こる現象で、5割以上の妊婦が経験するとされていま
す。朝の空腹時に出やすいことから、英語では『morning sickness』と言われています。その出現頻度は1〜2%と言われており、重症化すると体重減少や脱水、電解質異常が起こり、場合によっては入院管理が必要となります。悪阻は早い人で妊娠4〜6週から始まるケースが多く、12週ぐらいで少し軽くなり、16週でほぼなくなるとされています。

悪阻が起こる原因と仕組みについて

悪阻が起こる仕組みは非常に複雑で、原因が明確には解明されていません。
悪阻の辛さや期間には個人差があるだけではなく、最初の妊娠で悪阻が辛かった人が次の妊娠でも辛いとは限らず、妊娠する度に毎回違うと言えます。
なぜそういうことが起こるのか。妊婦さんの体に起きている現象を順番に述べると、まず胎盤からhCGという妊娠ホルモンが出ます。このホルモンは甲状腺を刺激する作用があるため、一時的に甲状腺ホルモンが増加し、その結果として血中のマグネシウムが下がるという現象が起こります。また、プロゲステロンという黄体ホルモンが増えることで腸の蠕動が抑えられて腸のガスが溜まりやすくなり、お腹が張ります。溜まった状態を鼓腸と言い、この鼓腸の状態になると血中のカルシウムが高くなります。カルシウムとマグネシウムというのは相反する関係であるため、カルシウムの血中濃度が上がり高カルシウム血症になります。その結果として腸の動きが悪くなり、胃酸分泌が亢進されます。

甲状腺ホルモンの増加に伴う現象として 低マグネシウム血症が起こり、そして低カリウム血症も起こります。また、循環血漿が増えてくることによっても低カリウム血症が起こります。
このような様々な要因が相まって、電解質のバランスが微妙に崩れていきます。しかし、これらの事柄については現象として分かっているものの、なぜ吐き気が起こるかというのは明確に説明できません。

そこでポイントになるのが、アンモニアとアミノ酸に対する嗅覚味覚感受性の増加です。これを人類の進化の過程で説明すると、海から陸に生物が上がり進化していった中で、餌を求める際、アンモニア臭を手がかりにしていました。アンモニアとアミノ酸が食べ物には必ず含まれており、それに対する嗅覚味覚があるからこそ餌をとれるようになった、つまり食べ物と認識して食べることが出来たわけです。
妊娠すると、不思議なことにアンモニアとアミノ酸に対する嗅覚味覚の感受性が増加します。アンモニアは基本的に毒性があるため、肝臓で解毒されます。また、アンモニア臭は少量であれば「快」ですが、大量だと「不快」に感じます。この「快」と「不快」の境界線が妊娠によって変わる、つまり感受性が増えることによって少量のアンモニア臭でもすぐ不快だと感じるようになるのです。

分かりやすいのが炊きたてのご飯です。ご飯の匂いは通常であれば食欲をそそる「快」ですが、妊娠中は非常に「不快」だと感じます。嗅覚味覚の感受性が増加する要因についてはまだ解明されていませんが、一説によると妊娠中に起こるエストロゲンというホルモンの急激な上昇によって、嗅球といわれる脳の嗅覚感受性の部分に影響し、匂いを不快に感じるという説があります。加えて、セロトニンという神経伝達物質も感受性を増加させます。このような事が相まって、アンモニアによる嗅覚味覚の感受性が増加していくのではないかと言われています。

しかし、妊娠初期はエストロゲンが低くプロゲステロンが優位であり、妊娠後半期に逆転します。このことから、本来であれば妊娠後半期に起こるエストロゲンの増加の影響によって妊娠初期よりも悪阻がさらにひどくなると考えられますが、後半期は基本的に悪阻がないことが不思議です。妊娠初期に起こる様々な病態が相まって悪阻が起こることは分かってきていますが、明確な原因は不明です。

振り返ってみると、コロナウイルスの感染症の際に嗅覚障害が出たケースがありました。悪阻の症状は、コロナウイルスの感染症の障害とある意味真逆の現象だと言えます。ウイルス感染症で嗅覚の障害が出ることによって食事が美味しく感じられないのに対して、悪阻では嗅覚が過敏になることによって食事ができなくなります。

悪阻の時でも食べやすい食事や飲み物について

悪阻によって吐きそうな時は、基本的には吐くしかありません。しかし、激しく吐くと食道を傷める場合があり、継続的に吐くことはさまざまなリスクを伴います。
食欲が出ない場合は、食べやすいものを小まめに分けて食べるのが一つの方法です。パンの方がご飯よりも塩味があるため、少しは食べやすくなります。
あるいはピザやパスタなど、塩味があるもので炭水化物を摂るとよいでしょう。また、温かい食事はアンモニア臭を感じやすいため、冷ましてから食べるのも一つの方法になります。
酸っぱい食べ物が欲しくなるのは、レモンや梅干し、お酢などに含まれるクエン酸がアンモニアやアミノ酸を中和してくれるためです。このクエン酸の中和作用によって、例えばご飯に梅干しを混ぜると食べやすくなります。
また、妊娠中は低カリウム血症ですので、カリウムを含む食品を摂ると少し悪阻が楽になります。例えばトマトやメロン、スイカ、バナナ、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャなどを摂ると少しは改善されます。

適量の炭酸水もおすすめです。よく妊娠中にコーラを飲みたいと言う人がいますが、実は理に適っていると言えます。炭酸水は腸蠕動が良くなるため、お腹の張りが少なくなります。
コーラに含まれている糖分はブドウ糖そのものですから、ご飯に比べて吸収しやすいと言えます。また、果物類にはブドウ糖や果糖が含まれており、それ以上の消化が必要ないため食べやすいです。お腹が張って辛いという人には、温湿布が効くこともあります。
鼓腸を改善する目的で一度試してみる価値はあると思います。

脱水症状がある場合は、真水より電解質が入った経口補水液やスポーツドリンクがおすすめです。経口補水液にはゼリーがあるので摂りやすいかもしれません。
悪阻の症状が酷い場合は病院に行くことを検討することも大切です。病院に行く目安としては、体重が著しく減少する場合や脱水、電解質異常などがある場合です。このような症状は是正しなければいけないため、入院が必要となります。

悪阻の症状を緩和する薬について

現在、悪阻の症状を緩和するというエビデンスがある薬はありません。プリンペランと言う吐き気止めなども、効いたと言う人もいますが、誰にでも効くわけではありません。また、ドラマミンと言う乗り物酔いなどの動揺病に効く薬も同様です。
半夏厚朴湯などの漢方薬にはショウガの成分が入っており、効く人もいます。欧米では、ショウガそのものを摂るケースもあります。
ビタミンB6など、他にも悪阻に効果があると言われているものはありますが、どれも決定的なエビデンスはありません。

妊娠中に唾液が止まらなくなるのも悪阻?

妊娠中に唾液が止まらなくなる症状を、流涎症(りゅうぜんしょう)といいます。これは悪阻と違い、16週で症状がなくなることはなく、お産が終わって2日ぐらいでなくなります。この症状についても、悪阻と同様に具体的な要因は未解明ですが、私は胎児がいる子宮によって胃が持ち上がり、その物理的な作用によって唾液が上がってくると考えています。そのため、子宮が落ちないと治りません。分娩後は一時的に少し子宮底が上がり、そして落ちていきます。そのため、出産から2日目ぐらいに治っていくのだと考えています。
唾液が止まらなくなる症状は、胃の働きを良くする薬なども効果はありません。持続吸引器を使うケースもありますが、この処置はかなり辛いと感じる方が多くいらっしゃいます。
ただ、この症状は必ず終わりますので、それを信じて頑張ることが大切です。

悪阻で特に注意をしなければならないこと

悪阻で一番怖いのは重症化です。体重が何キロも減ってしまった人など、重症化しそうだと感じたら、とにかく早く医療機関を受診することが大切です。
また、ビタミンB1群が減ることによって脳に異常が出る(ウェルニッケ脳症)ケースもあります。重症化するととても危険なため、体調がどうしても改善しない場合は遠慮せず、早く医療機関に助けを求めるべきです。後遺症が残る人も中にはいます。絶対に命に関わる問題に発展させてはいけませんので、決して無理をせず、症状を見逃さないようにしなければなりません。

悪阻で苦しんでいるママに対してパパが出来ること

もしママが悪阻で苦しんでいる場合、サポートは社会的な部分がメインになります。洗い物や洗濯などの家事が該当しますが、特に辛い家事が食事の準備です。前述した通り、アンモニア臭に対する嗅覚感受性の増加によって、炊き立てのご飯が入ったジャーを開けることなどがとても不快になります。
ただ、一番大切なことは、悪阻に対する理解を深めることです。悪阻の辛さは経験した女性にしかわかりません。例えば、「吐くなら食べなければいい」、「悪阻は病気じゃない」などは禁句です。この記事をよく読んで、悪阻の原因や症状、リスクなどをよく理解して、寄り添ってあげることが大切です。

悪阻の辛い経験から二人目の妊娠を躊躇している人へ伝えたいこと

知って欲しいのは、毎回違うということです。一人目の妊娠で悪阻が辛かったからといって二人目も辛いとは限りません。辛かった記憶を忘れることは出来ないと思いますが、万が一、二人目の妊娠でも悪阻が辛かった場合は、今回ご紹介した緩和策を試してみるのはいかがでしょうか。もちろん、病院でもサポートします。悪阻は時が経てば必ず治るということをお伝えしておきたいです。

悪阻はまだまだ未解明の部分が多い病態です。その先にある赤ちゃんとの対面に向けて、パートナーとしっかり寄り添い、病院のサポートも遠慮せずに受けながら、乗り越えてください。