本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。

ご紹介するのは、2歳と0歳のお子さんをもつ室伏さんファミリーです。2017年にマッチングサイトを通じて出会ったという妻のハルヨさん(34歳・仮名)と夫のショウマさん(37歳・仮名)。共通の趣味があり、価値観も合っていたことから、約8ヶ月の交際期間を経て結婚に至ったというお二人。

結婚から約1年、妊活をはじめようとするタイミングで、室伏さん夫婦は試しに不妊検査を受けてみました。すると、ショウマさんのほうに著しく良くない結果が出ました。いわゆる男性不妊で、精索静脈瘤が主な原因の1つだったようです。

それから1年半の不妊治療を経て、体外受精で第一子を妊娠・出産。さらに第一子が2歳になった直後に再度の不妊治療を行い、第二子を妊娠・出産しました。

今回は二度の不妊治療に臨んだ室伏さん夫婦に、どういった苦労や決断、葛藤があったのかを聞いていきます。

    結婚から1年後、妊活を始める前に不妊検査をすると……

    システムエンジニアとして働くショウマさんと薬剤師として働くハルヨさんが出会ったのは、お二人が30歳と27歳のときでした。婚活サイトを通じて知り合い、収入や学歴、年齢、見た目、身長などの条件がクリアしていたうえ、共通の趣味が複数あったことから、二度目のデートで交際を始め、8ヶ月の交際期間を経て結婚をしました。

    「交際して4ヶ月のときに婚約はしていました。それから両親への挨拶や顔合わせなども順番に済ませていって、8ヶ月目に結婚しました。絶対に結婚したい、という強い思いがあってというよりは、『そろそろ結婚できたらいいなぁ』というフワッとした感じでした。5人くらいの方とはお会いしましたけど、夫と会ったときは話も合うし、価値観も近かったので、割と早い段階で『この人でいいかも』と思っていましたね」

    結婚して同棲し、生活をともにすること約1年。「そろそろ子どもがほしいよね」と夫婦間で話題に挙がることが増えたタイミングで、たまたまハルヨさんは男性不妊症について知る機会がありました。

    「『こういうのもあるみたい。試しにどう?』と提案したら、夫は抵抗感がなかったみたいで、検査に行きました。そうしたら検査結果が芳しくなかったので、不妊治療のクリニックに通うことにしました」

    具体的には、検査した精子の数も運動量も標準を大きく下回っていました。そのため医者からはこう言われたのだといいます。なお、ハルヨさんも不妊検査を行いましたが、「とくに問題なし」という結果だったそうです。

    「『タイミング法や人工授精などでは難しい。顕微授精法じゃないと』ということを先生に言われました。それを受けて私と夫は、『タイミング法などいろいろ試してうまくいかないとなるよりは、可能性がある方法にショートカットできてよかった』というふうに前向きに捉えることができていました」

    さっそくハルヨさんは顕微授精を行うために採卵をしました。

    「最初の採卵で5個の卵子がとれました。でも、受精が可能になるまで発育が進んだのは1つしかなくて、その1つもうまくいきませんでした。さらに2回目の採卵ではすべてが空胞だったんです」

    やれることは全部やった1年半の不妊治療の結果

    このまま続けても難しいのではないか……。そう感じた室伏さん夫婦は、ショウマさんがもつ男性不妊の原因である精索静脈瘤の手術を受けることに。そのために専門医のいる大きな大学病院へ転院しました。

    「夫の手術のときだけでなく、私自身もそちらの大学病院に転院して、2人とも診てもらうことになりました。実は、この転院は最初にかかっていた不妊クリニックから積極的に勧められたわけではありませんでした。夫が自分で調べて、ここを受診したいと言ったことがきっかけだったんです」

    転院した先の大学病院では、ショウマさんが精巣内精子採取術(TESE)を受け、ハルヨさんは採卵の方法としてあらたに卵巣刺激法の1つであるアンタゴニスト法を行いました。

    「2つ目の病院で3度目となる採卵をしたところ、23個の卵子がとれました。そのなかで受精可能なのが6個で、それらを移植していくことになりました。そのうち4回がうまくいかず、残り2個になったときにERA検査とALICE検査、ビタミンDの血中濃度も調べました。当時、保険適用外でしたので、お金はかかりますが、やれるだけのことはしたいと思ったんです」

    *ERA検査=子宮内膜着床能検査、ALICE検査=感染症慢性子宮内膜炎検査

    結果的に、5回目の顕微授精がうまくいき、第一子を妊娠・出産できたのだとハルヨさんは言います。

    「期間としては1年半がかかりました。とても大変でしたね。1人目のときは、夫には休みを取ってもらって、常に一緒に来てもらっていましたので、妊娠がわかったときは『とりあえず良かったね』という話はしましたが、そこに至るまでに失敗した経験が多すぎて、ずっと疑心暗鬼でした。10週の壁とか、まだまだハードルはありましたので」

    不妊治療を続けるために変えた雇用形態

    実は、ハルヨさんは結婚を機に転職をした先の職場で、フルタイムの契約社員として働いている途中で不妊治療を開始することになりました。しかし、不妊治療が不定期で入ってくることもあったため、会社との話し合いで、就労形態を変えたのだとか。

    「契約社員とはいっても、正社員を同じ扱いで、休みの融通性はほとんどなかったので、不妊治療に支障が出ないようパート扱いにしてもらいました。契約社員のときも、理解を示してくれる会社だったのですが、休みが重なってくると『そろそろ厳しいですよ』と言われたこともありましたので……」

    そうは言っても子どもは欲しいしということで、ショウマさんと相談した結果、契約社員ということに固執する必要はないという結論になったと言います。

    「パートになって、ある程度、曜日を固定してもらい、そこに被らないよう治療の日を入れるということで、なんとか治療を進められました。とはいっても、パートになってから出勤数などの条件を1回ほど変えてもらいましたが」

    では、妊娠期間中の仕事はどうだったのでしょうか。ハルヨさんはこう話します。

    「実は、コロナ禍がひどくなってきた影響で、パート切りにあったんです。それで家にいることができたので、下手にコロナに感染せずに、妊婦生活が送ることができたのは、幸運だったかもしれません」

    また、エンジニアであるショウマさんも、コロナ禍で在宅勤務の時間が増えていました。そのため妊娠しているハルヨさんにかわって家事をすることもありました。

    胎児心拍の低下による緊急帝王切開にはなったものの、出産自体は無事に進みました。退院後、最初の1ヶ月はハルヨさんの母とショウマさんの義母が交代でサポートに来てくれたと言いますが、それがむしろストレスの元になったと言います。

    「新生児がいて、睡眠がままならないなかで、ストレスがどんどん溜まりました。当時、住んでいた家が狭いということもあって、生活動線が取りにくかったり、母か義母が1部屋を使う影響で、私と赤ちゃんと夫が同室で寝ざるを得なかったりしたこともストレスの原因でした」

    その当時、ショウマさんは育休を取っていませんでした。「なぜ私は眠れていないのに、あなたは寝ているのか。そのうえ、なぜ(昼間は)仕事に行ってしまうのか」と、家庭内全体が、どんどん淀んだ空気になっていたのだそうです。

    「夫には八つ当たりみたいなところもあって、このままでは良くないと思いました。だから、いっそのこと実家に帰ってしまおうと思って、2ヶ月目から3ヶ月目にかけては実家で過ごしました。もちろん新生児から少し成長して育てやすくなったということもあると思いますが、ストレスも緩和されて、落ち着くことができました」

    どうしても破棄したくなかった最後の受精卵。夫婦で話し合って2人目にチャレンジ

    第一子が1歳になったとき、夫婦で「赤ちゃんってかわいいよね。もう1個、受精卵があったけどどうしようか」という話がでました。とくにハルヨさんとしては、受精卵を破棄するという選択が、「命を捨てるというような感じがして抵抗感があった」のだと言います。

    それと同時に、ハルヨさんは現在も働く職場への就職も決まりました。

    「すぐに育休は取りづらいので、1年間は働いたら2人目にトライしてみようということで、夫婦で合意しましたね。とくにきょうだいがいるなかで育った私のほうが、もうひとりぐらいほしいよねと、積極的だったと思います。ただ、きょうだいをつくってあげたいという想い以上に、受精卵を破棄したくないという気持ちが強かったようにも思います」

    残った受精卵は1個ということで、「これがラストチャンスの可能性もある」と考えていたハルヨさん。それには理由がありました。

    「仮にそれが駄目だったときは、採卵からやり直しとなるので、35歳を超えてのチャレンジ、いわゆる高齢出産に入ってくることが見えていたので、躊躇する気持ちがありました。特に採卵が非常にしんどかったので……3回とも無麻酔でやったからかもしれませんけども」

    いずれにしても、3度目の採卵でできた残り1個の受精卵に賭けることにしたハルヨさん。しかし、第一子を妊娠したときの担当とは異なる医師だったことから、〝とある行動〟に出ました。

    「ERA検査なしの、いわゆる通常の日程で進めようとしていたので、『先生、待ってください。通常の日程だと4回連続で失敗しました。ですからERA検査を踏まえた5回目で成功したときの条件で進めてください』とお願いしました」

    結果、この1回で第二子を妊娠することに成功。無事に出産までできました。ただ、第一子のときと異なり、基本的にハルヨさんは1人で通院し、妊娠の結果も1人で聞きに行ったと言います。

    「2人目のときは、基本的にすべて1人で行きました。上の子がまだ2歳で、保育園の送迎や面倒をみないといけませんので、夫と役割分担をはっきりさせたんです。妊娠期間は、上の子が2歳ということもあって、やんちゃ盛りだったので、もうほとんど記憶がないくらい大変でしたね」

    第一子のときの経験を踏まえた第二子の産後。、ストレスを軽減できた理由は「夫の育休

    第二子のときは、第一子のときの経験を踏まえ、新生児のときは実家で過ごすことに。2ヶ月の間、新生児を連れたハルヨさんが実家へ、第一子とショウマさんは義母のサポートを受けながら自宅で過ごしたと言います。

    「上の子と下の子のお世話を同時にやるのは、私のキャパシティ的に無理だと感じていましたし保育園もありましたので、夫に『あとはよろしく』と言って任せました。夫のほうは育休を取ってもらいました。育休は産後から3ヶ月で、それが会社から最長だと言われた期間です」

    育休に関する話し合いは、妊娠中に済ませていたそうです。

    「お腹が大きい状態で上の子のお迎えに行ったときに、すごく大変な思いをしました。そのときに、生まれたばかりの子を見ながら上の子を見るのは厳しいなと感じていて、『育休は必ず取ってください』と伝えました」

    育休を取ってくれたショウマさんが家にいることで、子どもが1人から2人に増えたにもかかわらず、生活は楽に感じているとハルヨさんは言います。

    「とても助かっています。下の子の夜泣き対応とかは私がメインで面倒をみていますけど、下の子の世話を上の子に邪魔されないようにしたり、手が離せない状態のときに抱っこしたりミルクをあげたりしてもらったりもあります。正直、1人目のときは鬱っぽかったんですけど、2人目の今回は余裕があって、心身ともに負担は少ないと感じています。

    男性の育休についていろいろな意見がありますが、私は取ったほうがいいと思っていますね。どれだけ子育てが大変なのかを思い知るということだけでも意味がありますから。もしこの育休がなかったら、今後の夫婦の関係性にヒビが入っていたかもしれないとすら思います」

    他方のショウマさんは、「育児より会社に行って帰って来るほうが楽」と言いつつも、子どもたちの成長を見ることができ、充実感を覚えているのだそうです。

    男性不妊を経験したからこそ感じていること

    最後に、室伏さん夫婦が経験した男性不妊について、ハルヨさんは次のように語ってくれました。

    「男性不妊やその治療は、ハードルが高い部分もあると思います。うちの場合は精索静脈瘤がありましたが、そういった男性不妊になるケースを知ってもらう機会を増やすことは大事かなと感じています。

    そのうえで、男女隔てなく検査や治療をしていくといいのではないでしょうか。不妊クリニックによっては、女性側の検査をしてからでないと、積極的に男性側を調べることはしないというところも少なくないようですから」

    今回は、男性不妊症により、第一子と第二子をともに体外受精で妊娠・出産した室伏さん夫婦のお話でした。治療のために仕事を変えたり、子育てストレスの軽減のため夫に育休の取得を促したりしたハルヨさん。2人目の壁を打開するヒントがたくさん散りばめられていたのではないでしょうか。

    お話しいただきまして、どうもありがとうございました。