本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。
この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。
今回ご紹介するのは、5歳のお子さんをもつ浦野さんファミリーです。妻のユズさん(35歳・仮名)と夫のタカトシさん(31歳・仮名)が出会ったのは約8年前で、その1年後には結婚に至りました。実は、この結婚に際してユズさんには大きな懸念がありました。早発閉経です。25歳で判明し、結婚をするおよそ3年前には、すでに不妊治療を行っていたそうです。
結婚してほどなく、凍結卵を使用した体外受精を行ったことで、幸いにも第一子を授かることができた浦野さん夫婦。その後、第一子が1歳になり、「チャンスがあるならば第二子も」と不妊治療に臨みましたが、うまくいかなかったといいます。
どのように早発閉経と向き合ってきたのか、第一子を妊娠・出産したときや、「第二子に向けての歩み」に関する思いについて聞いていきます。
この記事の目次
⚪︎25歳のときに、「おそらく30前に閉経になる」と言われた
○結婚してすぐに凍結卵を使った体外受精によって第一子を妊娠・出産
⚪︎「第一子のためにも、2人目がほしい」と不妊治療を再開させたものの……
⚪︎5年という歳月の不妊治療を経て至った心境とは
25歳のときに、「おそらく30前に閉経になる」と言われた
浦野さん夫婦が出会ったのは、ユズさんが看護師として働き始めて5年、タカトシさんが公務員として働き始めて2年目が経過した頃のこと。出会ってから交際を経て、結婚に至るまでの期間はおよそ1年でした。結婚までトントン拍子で進んだのには、理由があります。
「つねづね〝待っている時間はないよ〟ということを伝えていました。というのも、私には25歳で判明した早発閉経があり、婦人科の担当医から『子どもがほしいなら急がないといけない』と言われていたからです」
AMHの数値は0.02〜0.03。「おそらく30前に閉経になる」という診断を受けていたユズさんは、そうした自分が置かれた状況をタカトシさんや、双方の家族に対してオープンにしていました。そして、「2人が幸せならば、子どもは関係ないよ」という反応もタカトシさんとユズさんを後押しし、出会ってから1年で、結婚に至ったのだそうです。
そうした一方で、実はユズさんは結婚をする前に、卵子凍結を行っていました。しかし、一筋縄ではいかなかったようです。
「そもそも日本では早発閉経をあつかっている不妊治療の病院が少なくて、最初に受診した病院では『難しい』ということで断られてしまいました。それで、自分で調べて良さそうなところを受診したんですけど、そこでも『うちでは無理だよ』と言われました。ただ、2つ目の病院の先生は、『ここが良いと思います』と早発閉経の専門クリニックを教えてくれて、そこに駆け込んだかたちになります」
2度の転院を経てたどり着いた、早発閉経を専門にあつかうクリニック。そこで「あなたのような患者さんは少なくありません。やってみましょう」と言われ、希望を感じたユズさんは採卵にトライしました。
「やるべきことは、卵が残っているうちに、なるべく早く採卵して凍結保存をすること。もちろん費用はかかりましたけど、採卵を試みました。その結果、なんとか2つが確保できたので、保存していただきました」
とはいえ、未受精卵が2つでは心許ないことから、半年以上にわたって採卵を試みました。しかし、うまくいかなかったそうです。
「8ヶ月くらいやったと思いますが音沙汰なくて……。そこで、まだ新しい治療方法で症例が少ないIVAという方法の提案を受けました。それは、2つある卵巣のうち、1つを取り出してスライスし、凍結保存するというものです。卵子の元となる原始卵胞が卵巣のなかにあるのかどうかを確認でき、原始卵胞があれば培養して戻すことによって、妊娠が難しいとされた早発閉経のためのあたらしい治療法です」
結婚してすぐに凍結卵を使った体外受精によって第一子を妊娠・出産
IVA(In Vitro Activation=原始卵胞体外活性化法)を受けてみると、ユズさんの場合は20個近くの原始卵胞が残っていることがわかったそうです。
「ただ、やはり数百や数千という数があるはずですので、かなり少ないということがわかりました。いずれにしても、IVAによる治療法で妊娠の可能性はゼロではないということで、そちらも保存しておくことにしました」
その後、ユズさんはタカトシさんと結婚しました。当然ですが、自然妊娠のことは頭にまったくなく、すぐに2つの凍結卵を使った体外受精を行ったと言います。
「少しでも妊娠率を高めるために、2個戻しをしました。とても幸運なことに、その一回で妊娠することができました。妊娠したかどうかの結果を聞きに病院へ行ったときは、まさか自分が妊娠できるとは思っていなかったので、ひじょうにびっくりしたのを覚えています。もちろん、卵を信じてチャレンジしてみて良かったなと、嬉しい気持ちもありました」
普段から病院は、予定を合わせて一緒に行ってくれていたというタカトシさん。このときもタカトシさんが一緒だったと言います。
「〝おめでとうございます〟という紙を渡されて、2人でハグをして喜びあいましたね。確かに『子どもが目的で結婚するわけではない』という話はしていましたが、やっぱり彼はもともと子ども好きということもあって、妊娠がわかったときはとても嬉しかったんじゃないかなと思います」
吐きづわりや味覚の変化などの辛い妊娠時期をなんとか乗り越えたユズさんは、無事に臨月をむかえられました。そして、予定日になると陣痛がきて、タイミングを見計らって病院へ行くと、すでに子宮口は7センチほど開いていました。
「病院に着いてから産むまで、2時間くらいだったと思います。最後に分娩台で産むとなってから出てくるまでは、30分もかかっていない気がします。それくらいスピード安産でした」
出産後も大きなトラブルはなく、子育てに入っていくことができたユズさん。最初の1ヶ月は義両親の手助けをもらいながら、2ヶ月目は自身の両親の手助けをもらいながら、順調に子育てができたと言います。
「夜泣きがひどいとか、苦労した記憶がほとんどないですね。もちろん泣き声がうるないと感じたことはありますけど、思い詰めたようなことはなくて、親になれたんだなっていう幸せを噛み締めながら子育てをしていました」
「第一子のためにも、2人目がほしい」と不妊治療を再開させたものの……
そうしたなか、第一子が1歳になったころ、「2人目がほしい、きょうだいをつくってあげたい」という話題が夫婦のなかで出てきました。
「やっぱり1人目の治療をしているときは、〝1人でもできたら十分〟と思って取り組んでいたんですけど、1人目が生まれてみると、きょうだいをつくってあげたいなという思いが出てきました。わたし自身も三姉妹で、子どものころはしょっちゅう喧嘩していましたけど、大人になった今は一緒に旅行も行くし、とても楽しい時間を共有できているので、やっぱりきょうだいがいたら楽しいかなと思ったんです」
2つあった凍結卵は1人目のときに使い切っていたので、IVAのために凍結していた卵巣皮質を解凍することに。スライスした卵巣を培養液で発育させたうえで、お腹のなかの卵管に戻します。そこで原始卵胞が卵子まで発育すれば、採卵し、体外受精を行うのですが……。
「ストックしてあったものは採卵まで至りませんでした。ただ、まだ片方の卵巣がお腹のなかに残してあるので、不妊治療はつづけていますが、かなり萎縮してしまっているらしくなかなかうまくいきません。2人目の不妊治療は5年目に入っていて、そろそろ区切りをつけようかと考えています」
区切りをつけようとしている理由の1つは、治療費。「お金がかかるので、もっと第一子のために使ったほうがいいのかな」と思うこともあると言います。そのうえで、こう続けます。
「卵胞が育っているかどうか、採血してわかるマーカーがあるのですが、これがほとんど陽性になりませんでした。あきらめかけていたんですが、3ヶ月くらい前にひさしぶりに陽性が出たんです。残念ながら排卵には至らなかったんですが、先生は『まだ卵子が残っているってことだね』と言ったんです。そのときにあと半年だけは頑張ってみようと決めました。だからあと3ヶ月はやってみて、だめだったらあきらめると決めています」
5年という歳月の不妊治療を経て至った心境とは
5年という歳月は、短くありません。そのような長い期間にわたって不妊治療をつづけてきたのは、なぜなのでしょうか。ユズさんはこう語ります。
「夫に関しては、『私が後悔しないようにすればいい』というスタンスです。彼自身は2人目に強いこだわりはないので、とにかく私の意向を尊重してくれています。じゃあなぜ私は5年も続けているのかといえば、それは第一子のためにという部分があります。第一子は、ほんとうに赤ちゃんが大好きで、『ほしい、ほしい』と言われて、だからこそつくってあげたいという思いが私のなかで強くなったんです」
現実的には2人目は難しい、あきらめなければいけない瞬間が近づいてきているなかで、ユズさんはこう考えるようになってきたそうです。
「最初は、もうすごく申し訳ないような気持ちになりましたけど、いまはもうこの子の人生はこの子のものだから、この子が幸せであればそれでいいのかなと。とにかくきょうだいがいようがいまいが、幸せな人生を歩んでもらいたい。それだけです」
さらにこうも続けます。
「子育てしながら、次の子の不妊治療をするというのは、とても大変なことです。そうした経験をしてきて思うのは、自分を大切にすることも忘れてはいけないってことです。自分自身が幸せで過ごすこと。これを忘れがちなので、もし不妊治療を続けている方がいれば、忘れないで過ごしてほしいなと思います」
今回は、早発閉経(早発卵巣不全)の影響で、長年にわたって不妊治療をしてきた浦野さん夫婦のお話でした。30歳未満で0.1%、40歳未満で1%の割合で発症するといわれている早発卵巣不全は、決して珍しいものではありません。
後悔しないためにできることはなにか、どのように不妊治療と向き合っていけばいいのかなど、ユズさんの言葉から感じるものがあった方も多いのではないでしょうか。