本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。

今回は、杉元ハジメさん(38歳・仮名)とマナミさん(37歳・仮名)夫婦のお話です。大学時代に出会い、7年の交際期間を経て20代半ばで結婚したお二人には、現在9歳と5歳のお子さんがいます。

子どもは1人でキャパオーバーだと感じていたマナミさんですが、とあるきっかけで2人目の妊活をスタート。約半年を経て妊娠し、第二子を出産しました。すると、第一子のときにはほとんどなかった夜泣きや第一子の赤ちゃん返りなどを経験しました。しかし、そうした苦労も乗り切り、今では気持ちに余裕が生まれ、きょうだいで遊んでいるところを見て、幸せを噛み締めているのだといいます。

そんな杉元さん夫婦のお話を聞いていきます。

学生時代に交際が始まり、結婚のタイミングで夫婦ともに転職をした

マナミさんが、北陸地方から進学のために大阪にやってきたハジメさんと出会ったのは大学生のとき。自分は実家から大学に通っていたのに対し、すでに一人暮らしをしていたハジメさんの〝生活力〟のようなものに惹かれ、2人は交際を始めました。

「性格的には弟みたいな存在なのですが、当時は一人暮らしをしているということで、自立しているなって思った覚えがありますね。それから彼は新卒で就職し、私は海外留学という道を選び、1年間の遠距離恋愛を経験したのですが、不思議とお別れすることなく交際は続きました。結婚したのは25歳のときですが、自然な流れでしたね。付き合い始めて7年ほどだったので、『まだ結婚するには若すぎる』みたいなことは思いませんでした」

結婚のタイミングで、ハジメさんもマナミさんも仕事を変えました。ハジメさんはハードで不規則な勤務体系だった営業職から土日休みの企業へ、マナミさんは学生時代からの夢だった国際協力に関わる仕事に転職しました。さらに、共通の趣味であったウィンタースポーツや海外旅行なども楽しむため、2年間は妊活をしなかったといいます。

「交際期間も長かったのですが、結婚してからもまだ2人の生活を楽しみたくて、2年間は子づくりをしませんでした。ただ、私の親も夫の親も少し心配していたみたいで、ちょくちょくプレッシャーのようなものをかけてきました。『結婚してしばらく経つけど、子どもはどうなの?』みたいな」

ハジメさんの友人関係には20代前半で結婚し、早々に子どもをつくる人が少なくなかった一方で、マナミさんの友人関係には早々に世帯を固める人はほとんどいませんでした。そうしたことも影響したようです。

「夫は子どもができてもいい、みたいなことは言っていましたけれど、私はそうじゃありませんでした。念願だった仕事につけて、プロジェクトを進めるのにやりがいを感じていましたし、夫婦2人で色んなところに出かけるのも楽しかったです」

何ごとも先回り!妊活スタートと同時に病院へ、妊娠判明後はすぐに上司へ報告をした理由

その後、結婚生活が3年目に入り、仕事も2人の時間も一通り満喫できたところで、「そろそろ欲しい」という思いが芽生えてきたことから、妊活を開始しました。

特に心配事があったわけでもなかったそうですが、妊活を始めるにあたっては産婦人科医院に診てもらったとマナミさん。

「もともと病院好きなんですよ、私(笑)。とにかく妊活をするなら、効率よくしたかったので、産婦人科医院に行きました。それでタイミングだけみてもらったところ、確か2〜3ヶ月で妊娠したんです。年齢もあると思いますが、ダラダラしたくない私にとっては吉報でしたね。医師からは、『その年齢で、特段の心配もないのに病院にくるなんて珍しいですよ』と驚かれましたけれど、私としては至極自然なことでした。モヤモヤを解消するために検索して、膨大な情報が入ってきて、余計にモヤモヤする、みたいなスパイラルは嫌だったので」

無事に妊娠できたものの、気がかりだったのは仕事でした。やりがいを感じていたし、まわりに迷惑をかけたくないという思いもあったためです。幸い、悪阻は軽かったものの、検診などで出社できないこともあるかもしれないと考えたマナミさんは、すぐに上司に相談をしたそうです。

「迷惑をかけたくない一心で、直属の上司にはすぐさま報告しました。その上司からは『そんな早い段階で報告するのは、あなたが初めて』と言われました。確か安定期に入る前だったと思います。でも、上司のことは信頼していましたし、通勤時間をずらす制度は妊娠中にも使えるなど、いろいろなことを教えてもらえたので、結果的にはそれが良かったと思っています」

無事に妊娠期間を乗り越え、出産時にも大きな問題が発生することなく赤ちゃんと対面できたマナミさん。出産後は、家から車で10分ほどの実家で生活をしたといいます。

「夫に、育休を取るという選択肢はなかったようなので、出産後は1ヶ月半ほど実家にお世話になりました。だから沐浴も私か私の母がやっていました。それから1人目は本当に空気を読む赤ちゃんで、よく飲むし、よく寝る子で、とても楽ちんでした。逆に言うと、そのせいで夫の出番がほとんどなくて、父性を育むという意味では、マイナスだったかもしれません」

謝り続けた、頭を下げ続けた続けた保育園の1年目

夜泣きもまったくなく、仕事のために寝室を分けるという発想すら生まれなかったとマナミさん。

「もちろん、基本的に夫は優しいので、仕事が終われば、極力早く帰ってきてくれていましたし、お風呂にいれるなど、できることはやるという協力的な姿勢ではありました。ただ、洗濯のことでは揉めたことがありましたけど」

相談した結果、様々な家事のうち、洗濯に関してはハジメさんの担当ということにしたそうです。そのため、ハジメさんは仕事から帰宅後、夜に洗濯をまわして、干すというルーティンになったのですが……。

「洗濯機をかけたまま、終わるまで耐えられず、寝落ちしてしまうということがあったんです。干さずに濡れたままの洗濯物が、洗濯機から出てくるということが何度もあって、ケンカの火種になっていました。彼も悪気があるわけではなかったので、それだったら乾燥機能がついたドラム式洗濯機を買おうということになりました」

高い買い物ではあったものの、それが功を奏し、ケンカの火種を消すことができたそうです。

4月生まれだった第一子は、保育園の「0歳時クラス」に入れることができ、職場復帰したマナミさん。職場の理解もあり、順風満帆にいくかと思いきや、そうはいきませんでした。

「やっぱり最初の1年は大変でしたね。保育園からありとあらゆる病気をもらってきて、しょっちゅうお休みをしたり、保育園から〝お呼び出し〟の電話がかかってきたり。私は免疫力が強いのか、子どもから病気をもらうということは少なかったのですが、夫のほうはしょっちゅう病気を移されていて、体調不良で休まざるを得ないこともありました。それでようやく夫のほうも子育ての大変さが身にしみてわかったんじゃないかなと思います。手足口病なんて、今まで診たことがないくらいひどい症状が出ていましたので(笑)」

そうした状況で、マナミさんの母の助けももらっていましたが、それでも追いつかなかったため、病児保育も利用していたといいます。

「出張は免除してもらっていましたが、プロジェクトが進んでいくなかで、そんなに頻繁には休めません。だから病児保育も利用していましたが、そこは始まるのが8時だった。だから、出勤時間に間に合わないときは、母に連れて行ってもらうこともありました。お迎えは、早退した私が行く。熱がある一歳児を預けるのは辛かったけれど、そのときは本当に選択肢がなかったです」

「夫のほうも、彼自身が病気でない限りは休めない状況でした。彼自身の問題というよりは、彼が勤めていた会社に理解がなかったんです。『奥さんが休めるんだろう? だったら休んでもらったらいいじゃないか』って。復帰した最初の1年は、人生で経験したことがないほど、謝り続けた、頭を下げ続けた1年でしたね」

手がかかる1人目がきっかけで「2人目をつくってもいいかも」に変わった

もうそんな日々はたくさん……。そんなふうに感じて、「もう子どもは1人でいい」と考えていたマナミさん。しかし、第一子の成長とともに、2人目をつくるほうがいいのではないか、という思いが再燃していったようです。なぜでしょうか。

「上の子が2歳と3歳のときに、すごく手に負えない感じになってしまって、こちらを苛つかせる言葉をどんどん使ってくるし、わがままし放題だしで、ものすごく大変だったんです。たぶん私自身は、ノイローゼ気味だったと思います」

そんなとき、実の両親と義理の両親、さらにはハジメさんから、「きょうだいがいれば、この子も落ち着くんじゃないか」と立て続けに言われたのだといいます。マナミさんは、その言葉にプレッシャーや反発心を覚えるのではなく、「確かにこの子のためにも、きょうだいはいてもいいのかもしれないと思った」のだとか。

「それまで、子育てには正解はないだろうし、甘えさせること自体は別に良いと思っているし、一人っ子が駄目なんてまったく思わないというか、むしろみんなの愛情を全部注げるという意味で、すごくいいなと思っていたくらいなのですが、やっぱり思い通りにいかないとすごくわがままになるし、保育園ではイイコイイコしていても、家についた途端に暴れまくるしで、これはもう2人目にいくしかないと思ったんです」

早速、マナミさんとハジメさんは話し合いをし、2人目をつくろうと決めました。そしてすぐさま産婦人科医院へ行きました。

「やっぱりまた最初は病院に行きました。私だけでなく、彼も含めて再検査しました。初産から4年経っているので、もう1回診てもらったほうが効率良いかなと思いまして。そのときもタイミングをみてもらったのですが、第一子とは違って半年くらいかかりました。医師から言われた『検査結果に異常はないから、続けたら大丈夫、次の不妊治療の段階に行く必要はない』という言葉を信じていたら、8ヶ月目くらいに妊娠できました」

妊娠が判明したときは、嬉しさよりも安堵感のほうが強かったとマナミさん。なぜなら、結果が出ない受験と合格発表を毎月経験しているような感覚だったため、精神的に疲れてきたこと、さらには親しいママ友たちが次々と2歳差、3歳差で次の子を産み始めてきたこと、不妊治療の次の段階へ進む知人も少なくなかったことなどがプレッシャーになっていたためだと語ります。

「受験勉強なら良くてもダメでも結果が出るけれども、妊活は結果が曖昧なまま続くじゃないですか。常に自分だけが置いていかれるような焦りを感じていましたね」

夜泣きに苦しんだ2人目の子育ても落ち着き、いまでは笑顔があふれる日々に

とにもかくにも、2人目を無事に妊娠し、出産することができたマナミさん。けれども第一子のときと違って、夜泣きに苦しんだと話します。

「順調に育っていって、下の子が1歳2ヶ月のときに職場復帰したのですが、その数カ月後から1年間にわたって、毎日のように夜泣きが続きました。これは本当に辛くて、とてもじゃないけど一人では見きれないからと、夫と交代制であやすことにしましたね。交代制といっても、曜日ですっぱり分けるのではなく、重要な会議があったり、早朝から出勤しないといけなかったりしたら、特別な予定がないほうが対応するというふうにしました」

第一子も、卒業していたオムツが復活したり、急に哺乳瓶を使いだしたりと赤ちゃん返りをする時期もあったようですが、次第に落ち着いてきて、いまでは2人目の重要な子育ての戦力になっているのだとか。

「上の子が小学生になるまでは、そんなでもなかったんですけど、小学校にあがった途端に、自分から下の子のお世話をするようになってくれたんです。お風呂も2人で入ってくれるし、お絵描きやちょっとしたお勉強を教えたりもしています。下の子の成長を親である私たちと一緒に喜ぶみたいな感じで、そんなときは、本当にきょうだいがいて良かったなと思いますね」

最後に、マナミさんは、「まわりに流されるように2人目をつくったと言われたら、それは嘘ではないという自覚はあります。今も自分の子育てに自信を持てているわけではないけれど、私の場合は2人目を産む決断をして良かったと思います」と締めくくります。

もちろん悩んだ末に、2人目を目指さないという選択肢もあったことでしょう。その場合にも、第一子は時間とともに成長し、現在のマナミさんのように笑顔で暮らせていたかもしれません。実際、マナミさんも「ママが作らないという選択をするならば、それは尊重されるべき」と言います。

どうすれば後悔しないのか、家族が笑顔で暮らせるのか、その正解はきっとないのでしょう。