本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。
1more Baby 応援団が全国の子育て世代の約3000 人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。
この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。
今回ご紹介する武下純平さん(36 歳・仮)と栄子さん(36 歳・仮)夫婦には、6歳と2歳の2人のお子さんがいらっしゃいます。休日を含め、大変多忙な毎日を送っているという法律関係の仕事に就く純平さんと、第一子の出産を機に新卒入社した会社を退社し、在宅で業務委託社員として働く栄子さんが出会ったのは、学生時代。5年あまりの交際期間を経て、社会人になるタイミングで結婚に至りました。

結婚から約2年は子作りに“待った”をかけていたそうですが、30 歳という節目を目前にして、夫婦で話し合いを設けました。そして、「まずは1人」ということで試みると、ほどなくして妊娠し、出産に至りました。
しかし、その第一子が難病指定されることもある病気が判明。さらに発達障害の兆候もあり、第二子に踏み切れなかったそうですが、とあるきっかけで二人目を作ることに。その決断を経て、現在「すごく幸せに感じている」と言う武下さん夫婦のお話です。

生活リズムが合わず、結婚してしばらくは子づくりをしなかった

高校時代から交友関係にあった純平さんと栄子さんは、大学院に進学した純平さんが社会人になるタイミングで結婚をしました。一方で、大学を卒業後、先に就職していた栄子さんは、純平さんの仕事が安定するまで子づくりに“待った”をかけていたそうです。
「まずは仕事が安定するまで待とうと、1〜2年は子づくりをしませんでした。加えて、時間という制限もありました。というのも、平日は朝から夜遅くまで働き詰めの夫と、土日祝日に働くことも多いサービス業で働いていた私の間で生活リズムが合わなかったんです」しかし、30 歳という節目が近づいてきたため、具体的な計画を相談する場を設けたと言います。

「もともと私も夫も子どもは欲しいと言っていました。ただ、その話し合いの場で伝えたことは、仕事が忙しい夫に合わせて、1人で子どもを育てる勇気はないということでした。特に夫は子どもがたくさん欲しいというようなタイプでしたので、『この状態で2人以上の面倒を見ることはできない』と。それで、まずは1人目を作ってみようということで、その話し合いはまとまりました」
早速、排卵日などのタイミングを取って子づくりを進めると、幸いなことにすぐに妊娠できたそうです。さらに。「希望していた2月生まれで産むことができました。妊娠期間中は割と悪阻がひどくて、特に食べ物の匂いがダメでしたね。ただ、不幸中の幸いと言いますか、夫が仕事で不在にすることが多かったので、家の中の食べ物の匂いは自分でコントロールできました。おそらく他の方よりは、対策ができる分、辛くなかったのではないかと思っています」一方、純平さんは仕事で忙しいという現実問題こそあったものの、それを除けば非協力的だったわけではないと栄子さんは話します。

「悪阻のときには、私が食べられるものを買ってきて冷蔵庫に入れておいてくれたり、リビングで寝てほしいと言えばそうしてくれたりしました。あと、調べたのは私ですけど、⽗親・⺟親学級にも来てくれましたし、それ以外にもこの日のこの時間を空けておいて、ここに来てと指示を出せば、会社も休んでくれました。調べるとか申し込みとかは私ですけど、実際に動くには夫ということも少なくなかったという感じですね」

無痛分娩の2時間後に歩いていたら看護師に引き止められた

出産の日は、ちょうど実⺟が休みの日だったため、夫が不在の中でも滞りなく産むことができたそうです。ちなみに無痛分娩での出産でしたが、これは栄子さんというよりも純平さんからの提案だったようです。
「私は無痛でなくてもいいよと言ったんですが、夫は『自分がサポートできない分、産後の快復が早い無痛を選んでほしい』ということでした。お金は出すからと。逆に言うと、そこしかサポートできないという後ろめたさみたいなものもあったのではないかと思います」無痛分娩の効果に加え、もとより栄子さんは我慢強い性格だったことから、出産して2時間後には普通に歩いていたのだとか。
「本当に私は痛みに強くて、出産して2時間後には別室にいた子どもの様子が見たくて歩いていたら、看護師さんや助産師さんに、『え、もう歩けるの? 休んでいて』と引き止められるほどでした」

産後の体調もよく、夜泣きに悩まされることもなかったと栄子さんは続けます。
「産後は、ずっとにこやかに子育てしていましたね。夜に泣いても、パッと起きて授乳してまたすぐ寝て、とできたので。体力的にも精神的にもほとんど負担は感じていませんでしたね。ちなみに、同じ寝室で過ごしていた夫は仕事で疲れていて、赤ちゃんが夜泣きをしてもまったく動じずに寝続けていました。たまに、夜遅くに帰宅したときに赤ちゃんがちょうど夜泣きをしていると、喜んで抱っこしていましたけど(笑)」

*画像はイメージです。

病気と発達障害を持っていた第一子の子育て

出産を機に正社員として働いていた会社を退職した栄子さん。近場に住んでいる両親と義両親の協力を得ながら、順調に子育てに専念していたものの、生後半年を超えたときに病気が判明しました。
「いわゆる空洞症といわれるんですけど、脊髄の病気がわかりました。はじめは夫が異変に気がついて、8ヶ月検診のときに先生に聞いてみたら、あれよあれよと手術が決まりました。私は毎日赤ちゃんを見ているので、オムツでムレたのかなというくらいにしか思っていなかったんですけど、久々に夫がオムツ替えをしたときに、『このミミズ腫れは変だよ』って指摘してくれた感じです」
脳に障害が出たり、排泄がうまくできなくなったりすることもある病気でしたが、幸い手術はうまくいき、発見が早かったことから後遺症も残らなかったと言います。

「早めに気づけたことが大きかったようです。子どもによっては、足を引き摺り出してから気づくこともあるみたいですが、うちの場合はたまたま目で見てわかるようなミミズ腫れになっていたので、不幸中の幸いでした」
実は、栄子さんの第一子はその後の3歳児検診で、発達障害を指摘されています。検診で言われるまで気づかなかった理由について、栄子さんはこう言います。
「なかなかオムツが取れないことには気づいていましたが、それは空洞症の影響かなんかだろうと思っていました。それと、コロナもあったので、なかなか他人と関わることがないなかで、言語発達に遅れが出ていることにきづく機会がなかったんです」
ただ、発達障害を指摘されたことで納得した部分も多く、悲観的になることはなかったと栄子さんは話します。
「逆に、すごく納得した部分があったのを覚えています。『だからこう言ってもこの子には伝わらなかったのか』とか『なんで喋らないんだろう』というのが、ある意味で腑に落ちた感じです。それからは色々と調べた上で、対策ができるので、育てやすくなりました」
栄子さんは、そんな第一子を抱えながらもできる仕事として、業務委託という形での事務職をしています。結果的に、当初は第二子を産むことは現実的ではないと諦めていたようです。

「上の子は癇癪が凄かったです。悲しいとか悔しいとか、そういう感情を言葉で表現できない分、殴ったり、蹴ったりと、体を使って怒りとして表現してしまうので、この子を抱えながら妊娠したり、2人目を育てたりといったことはできないだろうなと思っていました」

2人目をつくる決断をした背景にあるものとは?

そんな状態から、2人目を生みたいと決めたのはなぜでしょうか。栄子さんは、次のように語ります。
「少しずつ癇癪は良くなっていって、言葉も少しずつですが出てきました。それが3歳半くらいですね。そんなときに、小さい子を見る表情がすごく優しくて。たとえば、通っていた幼稚園の下の学年の子たちの面倒を見たり、一緒に遊んであげたり、撫で撫でしてあげたり。喋るのが苦手だけれども、どうにかお世話をしようとしている様子が見られたんです。これは、もしかしたらもう1人、小さい子どもが家にいたら、自分でなにかしてあげたいという気持ちが芽生えたり、これまで大人にやってもらっていたことを、自分で考えて自分でやるようになるかもしれない、と思ったんです」

2人目に踏み切れなかったのは、病気のこともあり、第一子が定期的に病院に通っていたという現実的な問題もあったそうですが、それも年月とともに頻度は減っていき、この頃には1年おきくらいにまで広がっていたと言います。
「この子のためにも2人目をつくろうとそう決めて、夫に話をしました。先ほども言いましたが、夫はもともと子どもがたくさん欲しいタイプだったので、賛同してくれました」第一子のときと同様、第二子も子づくりを始めてほどなくして妊娠でき、出産に関しても大きな問題はなかったそうです。

「2人目のときも無痛分娩を選びました。計画無痛分娩です。その日、夫は休みを取って、第一子の始業式に参加して、それが終わったら一緒に病院に来てくれて、面会して、生まれたばかりの赤ちゃんと対面したら帰るという感じでしたね」滞りなく、栄子さんと2人目の赤ちゃんが帰宅すると、栄子さんの直感の通り、第一子は、ほどなくして変わっていったと言います。
「産院から自宅に帰ったら、すぐに抱っこして、ミルクを与えてくれたり、オムツ替えを試みてみようとしたりとか、本当に下の子思いの子どもになってくれました。赤ちゃん返りもまったくなくて、おもちゃの奪い合いとかがきょうだいで起きても、ほとんどの場合、上の子が折れています」その後、自然とできることが増え、言葉の数も多くなっていったと栄子さん。現在は支援学級に通っているそうですが、普通学級との交流も多く、友達がすごく多いのだと言います。また、2歳になる第二子は、1週間に1回、保育園に通っています。

「すごく幸せに感じている」

「上の子のこともあったので、心理士の先生に相談してみたところ、『上の子の発達障害で心配だったら、はやめにそういうところに入れてもいいのでは?』とのことだったので、一時保育に通わせています。小さいうちから社会との関わりや、刺激があったほうが脳の発達にいいのかなという思いからです」実は、2人目には小児てんかんもあり、現在は薬を服用し、上手に病気と付き合うことができているそうですが、最初に痙攣を起こしたときはびっくりしたと言います。
「1歳のときですね。熱がないのに痙攣を起こして、数分間にわたって呼吸を止めてしまうことがありました。そのときちょうど上の子が一緒に遊んでくれていて、頭を打ったりとか、そういうことにはならずに済みました。そのあと、半年くらいかけて検査して、てんかんの原因となっている場所が判明したので、薬を飲んで普通に生活しています」
さらに栄子さんはこう続けます。

「てんかんのときに助かっただけじゃなくて、下の子がいることで、本当に上の子が成⻑したと感じていて、それはもう本当に良かったと思っています。そうした2人の姿を見ていて、私自身がすごく幸せに感じています。
2人目の子作りを始める前は、確かに欲しいけれど、上の子の病気のこともあるし、発達障害もあるし、そうしたあれこれの影響で仕事に行けなかったりとか、さまざまなことが重なったりして、悩みに悩みました。でも、最後は二人目をつくろうと決断して、実際に産んでみると、すごく良かったと思っています」いかがでしたでしょうか。もちろん家族の形は十人十色。それぞれの事情によっても異なるため、「これがベストだ」という答えはありません。しかしながら、今回ご紹介した武下さん夫婦のお話は、二人目を作ろうかどうしようかと悩んでいる方にとって、とても参考になるお話だったのではないでしょうか。