本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。
この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介します。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。
今回は、2歳半のお子さんがいらっしゃる高橋さん夫婦(仮名)のお話です。結婚3年目に入る高橋さん夫婦は、夫である紘人さん(32歳・仮名)の仕事柄、数年おきに転居を強いられるいわゆる転勤族。助産師として専門スキルを持つ妻・友江さん(35歳/仮名)は、結婚するまでは仕事に没頭していたそうですが、現在は転居にともなって助産師としてのキャリアの中断を余儀なくされています。
そんな友江さんは、「2人目が欲しい」という思いはあるものの、現在は躊躇している状態だそうです。その理由は、「妊娠や育児よりも大変な仕事はないんじゃないかって思うくらい大変だったから」と言います。
「もちろん2人目を産んだ多くの方が通ってきた道で、私自身も助産師という仕事を通じて向き合ってきたことではあるのですが、どうしても踏み切れないんです」と語る友江さん。その背景にはどんな思いや状況があるのでしょうか。詳しく聞いていきます。
この記事の目次
◯出会い〜妊娠発覚、結婚に至るまで
◯自分の唾液すら吐き気を催すほどだった3ヶ月に及ぶ悪阻の経験
◯「育児より大変な仕事ってないんじゃないか」と思うほど辛かった日々
◯〝1時間おきに授乳〟という状況から脱するためのトレーニングを実践した
◯2人目を産みたい気持ちと悪阻や育児の辛さとのせめぎあいの中で……
◯夫(男性)がサポートしやすい社会の雰囲気に変わることも不可欠
出会い〜妊娠発覚、結婚に至るまで
高橋さん夫婦が巡り合ったのは、30歳を過ぎて結婚を意識し始めた友江さんと、転勤が多いため出会いが少なかった紘人さんの双方が登録していた結婚相談所を通じて。特に友江さんは、30歳を節目にして、強く結婚を意識し出したと言います。
「助産師という職業柄、妊娠・出産は年齢を重ねると難しくなることは実感してきたので、遅くとも30代後半には産みたいという気持ちがありました。さらにそこから逆算すると、30代前半には結婚したい相手と出会っておく必要があると思ったんです」
何度かデートを重ねた2人は、お付き合いすることに。その後、「それがあったから結婚したわけではないのですが」という前置きをしたうえで、「この人ならいいかも」という気持ちを加速させた出来事が起きました。
「疲れが溜まるとなりがちな『膣カンジダ症』になったんです。それで婦人科に行って薬を処方してもらったのですが、その時に『血液検査をすればAMH値(AMH値は卵巣内に残っている卵子の数を示す数値)がわかる』と言われたんです。経験として仕事にも活きてくるかなと思って、気軽な感じで検査をしたら、32歳にして41歳相当の卵巣年齢だという診断結果でした。先生からは『もしも子どもを考えているのならば、早いほうがいいかも知れないね』と言われました」
助産師である友江さんは、もちろんAMHの数値が低くても妊娠はできるという知識は持っていました。そのことを頭では分かっていてもショックが隠せなかったようです。
「言葉も出ないほどショックで、これは当時付き合っていた夫に隠しておいたらいけないと思って、打ち明けたんです。そうしたら『41歳? 最近、出産したことがニュースになった滝川クリステルさんと一緒じゃん』っていう軽い感想を言われて、その言葉に救われた気がしました。私は『この人と付き合って結婚しても、子どもは持てないかも知れないから、(付き合い続けること自体)どうしようかな』と言われるんじゃないかとすら思っていたので」
そうした出来事もあり、結婚への気持ちが前に進んだ友江さん。ある時から「子どもができたら結婚だね」とお互いの気持ちを確かめた後に、避妊をやめたのだと言います。ほどなくして妊娠が判明、「子どもができたみたい。結婚しようか」と自然な流れで結婚に至ったと友江さんは語ります。
自分の唾液すら吐き気を催すほどだった3ヶ月に及ぶ悪阻の経験
懸念をよそに、順調に妊娠した友江さんですが、妊娠生活は言葉では言い表せられないほど辛かったようです。
「悪阻(つわり)が本当に酷かったんです。私自身、〝吐く〟という経験が20年くらいないような状態で、吐き方が分からないというか、吐くこと自体に怖さを感じていて、3ヶ月くらい吐きそうで吐けない状態が続きました。体が鉛のように重く、1日のうち気持ち悪い時間が何度かあるというんじゃなくて、24時間ずっと気持ち悪い状態が3ヶ月。お腹は空くけど、食べたい気持ちにはならない。でも、お腹が空いていても気持ち悪さが増していくので、何かを口に入れなければと、そのときに食べられるものを食べましたが、まったく美味しくなくて。本当に寝たきりみたいな生活が3ヶ月くらい続きました」
助産師として、悪阻がどういうものかを頭では理解していた友江さん。自身の体がそうした反応をすることは〝正常の範囲内〟ということが分かってはいたものの、自分で経験すると何もかもが違って思えたそうです。
「悪阻には個人差があって、私より酷い人がいるのも知っていました。入院するようなレベルの方もいますよね。私の場合は、入院する一歩手前くらいの感じで。中途半端に症状が強かったので、とりあえず自宅でのたうち回りながらずっと苦しんでいるみたいな状況で、入院されているみなさんには本当に申し訳ないんですけど、『これなら入院するくらい症状が強くなってくれればいいのに』とすら思ったこともありました」
友江さんの悪阻は、光や音にも反応して吐き気を誘発するほどで、暗い部屋に閉じこもり、耳栓をしてずっと横になっているというような日々が続きました。
「ストローとペットボトルと軽くつまめる食べ物を用意して、部屋に閉じこもっていたんですけど、自分の唾液ですら気持ち悪くなったときさえありました。そのときにはどうしたらいいのか分からなくて、自宅介護用に売っていた吸引器を買ってきて、それを口の中に咥えたまま寝たこともありました」
助産師の仕事は、妊娠が判明する1ヶ月前に退職したため、悪阻中は転職活動中だったそうですが、間違いなく仕事をできる状態じゃなかったと振り返ります。
「もちろん悪阻には個人差があるものの、悪阻期間に仕事を両立させている人は本当にすごいなと、ただただそれだけを思って過ごしていました」
悪阻で辛い間、紘人さんからのサポートはあったのでしょうか。友江さんはこう語ります。
「ざっくり言えば、『これ買ってきて』とか、何か頼めばしてくれるという感じです。もともとそんなに器用な人ではないので仕方ないとは思いますが、『こういう状況だったらこうするといいかも知れない』と、先回りして対応できるわけではないですね。悪阻に関しては、私のことよりもお腹の赤ちゃんが心配だったみたいで、『こんなものしか食べていなくて大丈夫?』みたいな。『私の心配はしてないんだね……』と思ったこともあります」
「育児より大変な仕事ってないんじゃないか」と思うほど辛かった日々
辛い悪阻を乗り越え、なんとか出産に至った友江さん。初産ということもあり、子宮口が開かず、予定していなかった帝王切開になったものの無事に赤ちゃんと対面することができたようです。さらに、生まれてすぐに年末年始がきたことや、産後1ヶ月のタイミングで実母が10日間ほど手伝い来てくれたりしたことで、育児は順調にスタートしました。
しかし、その後は「孤独で辛い初めての子育てが始まった」と友江さんは当時を振り返ります。
「子どもの気質にもよるんだと思いますけど、かなり辛かったです。全然寝ない子で、これまで助産師として関わってきたのは新生児が主だったので、『病院で見てきた赤ちゃんたちとまったく違う』と新鮮に思った記憶があります。新生児ではないので当然といえば当然なんですが、『こんなに寝てくれなくて、一日中泣いているんだなぁ』って。それが1日や2日じゃなくて、ずっと続くわけです。そんな状態が続くと、やっぱり結構辛いですよね」
「これくらい大変なんだ」ということを分かってもらう意味も込めて、夫婦の寝室は一緒にしていたと言いますが、その効果はあまりなかったようです。
「起こせば起きるんですけど、赤ちゃんが泣いても基本的に目覚めなかったです。こんなに泣いているのに寝られるんだと羨ましく感じたこともあります。もちろん夫もやれるだけのことはしてくれていたと思いますけれど、帰宅時間が早くても21時なので、そうなるとほとんど家に帰ってきたら寝るだけですよね。だから朝に一回オムツを変えるくらいが限度でした」
置けば泣くのでずっと抱っこしていた友江さんは、腱鞘炎にもなって、お風呂に入れるのも試行錯誤の連続。土日くらいは子育てを任せたい気持ちはあったものの、悪阻のときと同じく器用に対応することができなかったようです。
「ちょっとお世話してもらっている間に私が家事をするとか、私が赤ちゃんを見ている間に夫が家事をするとか、そういうことができないんです。私の伝える力が不足しているからなのかも知れませんが、どうしても効率よくできない。私が家事をしていたら、同じことをしてしまうみたいな」
夫には平日に手伝う時間はなく、休日は手伝う意志があるもののうまく立ち回れない。さらに両親も義両親も遠方に住んでいる上に仕事もしているため、手伝いに来てもらうことができない。転勤族なので、頼れる昔からの友人や近所の知り合いもいない。
「そんな状態なので、1人目のお世話をしながら2人目を産み育てられるのかと、ただただ不安でしかなくて……」
〝1時間おきに授乳〟という状況から脱するためのトレーニングを実践した
他方で、子どもの成長とともに「負担が軽減されていったところももちろんありました」と友江さん。
「生後8ヶ月くらいの時に、夜中に起きる間隔が1時間とかになってしまったことがあって、そうなるとまったく休めないし、子ども自身も眠いのか日中にぐずることも多くなりました」
このままではダメだと思って色々と調べてみたら、授乳しないと寝ないという癖が付いちゃっているから、その癖を取るトレーニングをするといいと語る専門家の人に辿り着いたと言います。
「このトレーニングは、赤ちゃんが夜中に泣いた時でも、基本的に授乳が必要になる時間までは極力抱き上げたりはしないというものです。もちろん声を掛けたりはしますが、親の介入を最小限にするという一貫した対応をとることで、赤ちゃんに「今は寝る時間だ」と教えていきます。私の場合、泣いたらすぐに授乳するという状況だったので、とにかくそのサイクルから少しずつ離れていく形でトレーニングをしていくと、夜に泣く回数も減っていき、割と眠れるようになったんです」
その後、「24時間ずっと母親をしている」という状態が精神的に辛い部分もあり、パートタイムでの仕事を始めたそうです。
「友人が近くに住んでいるわけでもなかったので、とにかく妻でもなければ母でもないという自分の時間がまったく取れませんでした。なので、働くという選択肢以外はなかったような状態でした」
働きだしてみると、母親ではない時間ができたことで心身ともにゆとりが生まれたそうです。
「もちろん職種にもよると思いますが、私の場合は『妊娠や育児より大変な仕事ってないんじゃないか』と実感しました」
2人目を産みたい気持ちと悪阻や育児の辛さとのせめぎあいの中で……
友江さんの中では2人目を産みたい気持ちと、第一子の面倒を見ながら悪阻や出産、育児などを行うのは難しいのではないかという不安がせめぎ合っているのだと言います。
「悪阻のときに上の子の世話が同時にできるのかという不安は、年齢が上がれば解消されていくものかも知れませんが、一方で私はAMH値が低いので、時間が経てば経つほど子どもが産める可能性は低くなります。今はそのせめぎ合いの中で、悩んでいるという状況です」
そうした悩みを抱える友江さんに対して、紘人さんはどんな思いを持っているのでしょうか。
「夫は、私の気持ち次第だと言っています。逆に、『おれが全力でサポートするからもう一人産んでほしい』という後押しがあれば、私も頑張れるような気もするのですが、そこまでの2人目へのこだわりはないみたいで……。私一人で乗り越えられるものではないと感じているので、サポートが期待できないのならば、諦める他ないかなって思ってしまいます。でも、簡単に『子どもは1人でいい』と思えない自分もいるのは確かで……」
なかなか答えが見いだせない友江さん。不安を解消するために、知り合いに相談したこともあったようです。
「不安を解消するために、まわりで2人目を授かった人に『決定打はどこ?』『妊娠中の上の子のお世話ってどうしていた?』と聞いたこともありました。でも、『その時になったらどうにかなるよ』と、根性論のような答えばかりで……」
友江さん自身も助産師として働く中で、出産後のお母さんの心と体のケアもしているそうですが、いざ自分の事となると、なかなか具体的なサポートを見つけられないものだと感じているようです。
夫(男性)がサポートしやすい社会の雰囲気に変わることも不可欠
では、具体的にどんなサポートがあれば、2人目に踏み切れそうなのか。友江さんはこんなふうに語ってくれました。
「1つは悪阻がめちゃくちゃ酷くなくても、本人が望めば入院できるような医療体制になっていることでしょうか。あるいは入院は難しくても、訪問看護などでケアをしてくれることも十分にありがたいかなと思います。もっと言えば、悪阻を軽減できる薬なり、医療技術なりが開発されれば、私みたいに辛い経験をした人でも2人目の出産にもっと前向きになれると思います。
あとは上の子を預けられるようなサービスですかね。あ、でもそのサービスの前に、夫の職場の風土として、仕事が休めるような制度と雰囲気づくりも大事かと思います。
実は夫は公務員なのですが、まだまだそんな雰囲気ではないそうです。家族の体調が悪いときに仕事を休むというのは、別に特別なことではないと思うので、そんなあたりまえの事が可能な社会になってくれないと、夫の努力だけではどうにもならないのかも知れません」
友江さんが調べたところによると、高橋さん夫婦が住む自治体には、体調不良などで両親が子どもの面倒を見られない場合に、1週間ほどであればショートステイという形で預けられるサービスもあったようですが……。
「ただ、私の場合は辛い悪阻の期間は3ヶ月続いたので、1週間では全然足りないですよね。だから、やっぱり夫自身と夫の職場の両方が変わることが大事なのかもしれません」
いかがでしたでしょうか。友江さんは、インタビューの最後に、「妊娠できるくせに、そんなことで悩むなよって思う方もいるのは分かっているので、なかなか人に話せませんでした。今日は気持ちの整理ができる良い機会になりました」ということもお話しされていました。
やはり、1人で思い悩むよりも、誰かと思いを共有し、相談することで気持ちが楽になったり、整理されたりすることもあるのでしょう。今回の高橋さん夫婦のエピソードを通じて、1人でも多くのご家族が〝二人目の壁〟を乗り越えるヒントが得られたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。