本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「2人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「2人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「2人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介します。もしかしたら、あなたの「2人目の壁」を乗り越えるためのヒントが、見つかるかもしれません。

今回は、5歳と1歳のお子さんがいらっしゃる穴水さん夫婦のお話です。夫・俊夫さん(35歳・仮名)と妻・栄美子さん(36歳/仮名)は、6年に及ぶ交際期間を経て、30歳という節目をきっかけに結婚。すると、ほどなくして第一子の妊娠・出産をしました。

しかし、その後2人目の出産に至るまでに「3度の流産」を経験したそうです。「妊娠が発覚しても素直に喜べなかった」と、栄美子さんは当時を振り返ります。なぜ素直に喜べなかったのでしょうか。さらに出産を目前にして、直面したというさらなる2度の苦難とは? 正社員として勤める大企業のなかでスムーズな産休&職場復帰のために栄美子さんがしていることも含め、詳しく聞いていきます。

〝つわり〟こそ酷かったものの、全体的には恵まれていた最初の妊娠・出産

最初に、「比較的順調だった」と栄美子さんが語る第一子についてお聞きしていきます。

「会場の都合もあって、籍を入れてから半年後に挙式とハネムーンをしました。結婚式までは妊娠したくなかったので避妊していて、式を終えた後に、『もういいよね』と言って、避妊をやめたらすぐに妊娠しました。そのときしていたことといえば、体調管理のアプリくらいです。排卵日とかを確認していた程度ですけど」

すぐに妊娠できたものの、悪阻(つわり)はひどかったという栄美子さん。そのため、後述するように、勤めていた会社も3ヵ月の休職を強いられたそうです。

「体調が落ち着くまで3ヵ月かかりました。いわゆる吐きづわりで入院も勧められました。ただ、入院は避けたかったので点滴に通う日々で、点滴を打ちながらも吐くこともありました」

夫に対して子育ては『北欧レベルを目指せ』!

幸いなことに、夫である俊夫さんは家事から料理まですべてをこなせ、共働きということもあってもともと家事は半々。つわりの間は、俊夫さんがサポート役に徹してくれたそうです。さらに、

「隣町に住んでいた母もときどき来てくれて、お世話してくれたこともありました。夫と母の2人の助けがあって、なんとかつわりを乗り越えられました」

出産自体も大きな問題はありませんでした。幸い、休日だった俊夫さんが自宅にいるときに破水が起きたので、自家用車で病院に向かい、少し待たされたものの無事に出産できたそうです。

「病院に着いてからはサクサクと着替えさせられ、分娩室に入って1時間も経ずに産まれました」

出産後、職場に育休を取る環境は整っていなかったにもかかわらず、俊夫さんは2週間ほど休暇を取り、栄美子さんのサポートに徹したそうです。

「もともと私は夫に対して『北欧レベルを目指せ』と言っていましたから。子育ては手伝うんじゃなくて、一緒にやるのがあたりまえ。半々でやりましょうって。もちろん夜中の授乳などの辛さはあったんですけど、妊娠中と同様に出産後も母のサポートも得られたので、全体的には恵まれていたと思います」

“また出血が”体質改善に取り組むも「3度の流産」

そんな1人目の出産から2年を経て、「そろそろ次の子どもをつくろうか」と話し合った結果、妊活を始めたと栄美子さん。

「完全な卒乳ができていなくて、なかなか生理が来なかったんです。でも、私としては〝2歳差〟がちょうどいいなと思っていたので、2歳を目前にして、〝バイバイしようね〟って言い聞かせていたら、ちゃんと卒乳できたんです。そうしたら本当にすぐに生理が来たので、〝始めよう〟って夫に伝えました。3ヵ月後くらいには妊娠も発覚して、『やっぱり私は順調だな。やった、やった!』って感じでノリノリでした」

しかし、順調だったのは妊娠を把握するまでだった、と栄美子さんは振り返ります。

「最初の妊婦健診では心拍も確認できて順調だったんですが、その翌月の仕事中、大量出血をしたんです。すぐに病院に駆けつけたんですが、『流産ですね』と。家に帰った後に、血の塊が出てきたのをよく覚えています。直感的にも、『あ、流れたんだな』って思いました」

ただ、このときはそこまで深刻に捉えていなかったそうです。実際、その4ヵ月後には再度妊娠しました。

「少しナーバスになっていたとは思います。このときも妊婦健診で胎嚢が確認できたのですが、自分に言い聞かせるように『今度は大丈夫、大丈夫』って思っていましたから」

しかし、翌月に流産することになります。判明したのは2度目の妊婦健診のときでした。

「このときは出血とかはなく、普通に検診に行ったら、『育っていませんね』って言われて。『お願い、育ってて』って祈りながら翌週にも病院に行って、エコーで見たらやっぱり育っていないことがわかって、掻爬手術をすることになりました。この掻爬手術の際、先生に何か問題がないかを調べてもらったんですが、『特に問題はなさそう』という結果でした」

実は、このときに「不妊治療まではいかないけれど、2度続けての流産なので、ちょっと詳しく調べてみようか」と先生から提案されたそうです。しかし、「1人目であんなに簡単に妊娠できて、出産もできたんだから大丈夫なはず」という思いがあり、また不妊治療に対してあまりイメージがわかなかったことから断ったそうです。

一方で、「次もまた流産するのではないか」との恐れから、日々の生活自体を改めようと考えたと栄美子さん。

「体質改善から始めてみようと思いまして、鍼灸に通いだしました。それからすごくコーヒー好きだったんですが、カフェインがよくないという話を聞いたので、摂取しないように心がけたり、3食を規則正しく食べたり」

体質改善が功を奏したのかどうかはわからないものの、2度目の流産から半年後に再度妊娠したと栄美子さんは言います。しかし……。

「このときもトイレで出血していることに気づいて、『あ、私これ知ってる。いつものやつだ』と。もう病院に行くまでもなく、『流産だな』って自分でわかってしまいました」

〝4度目の正直〟で安定期に入るも「コロナ感染」と「骨折」を経験

「不妊症」という存在は知っていた栄美子さん。自分にふりかかってきて初めて「不育症」という言葉を認識したそうです。「なんで育ってくれないんだろう」と、悲しみと悔しさで、泣いてばかりの日々だったと振り返ります。

「3度目の流産から4ヵ月後にまた妊娠しました。『今度こそ』と何度祈ったかわかりません。7週とか8週のときに〝壁〟があることは経験上わかっていたので、その週になるまでは本当に気が気でなく、まったく喜びはありませんでした。不安ばかり感じて。その〝壁〟を乗り越えたあとも、12週か13週にも〝壁〟があるのですが、そこを乗り越えたときにようやく『少し喜んでもいいのかな』という感じでした」

無事、安定期に入り、1人目のときと同様につわりにこそ悩まされながらも順調に週数を重ねていったそうです。しかし、そこからさらに2つの試練が待ち受けていました。

「1人目のときの経験があったので、早めに産休を入れたんです。予定日の3ヵ月前ですね。でもその後に1人目が、通っていた保育園でコロナにかかってしまったみたいで、もれなく私も夫もコロナになりました」

1人目と夫は軽症で済んだものの、栄美子さんは熱や咳などコロナで出るとされている症状のすべてを経験したと言います。

「お腹の赤ちゃんは大丈夫かなと心配になるくらいでした。ただ、なんとか復活して、日常に戻ることができたのですが……、その後に骨折したんですよ」

穴水さん一家が住むのは、雪が降ることでも知られる地域。その年は例年以上の雪が降ったそうです。除雪が追いつかない坂道を歩いているとき、見事にひっくり返ってしまったのです。

「その日は私が1人目を保育園に連れて行く必要があって、その帰り道に『ツルツルしてて嫌だな』と思っていた坂道で、すってんころりと転んでしまったんです。最初、『どうしよう』『お腹の赤ちゃんは大丈夫だろう』『破水してたらどうしよう』と呆然としていたんですけど、とっさにお腹を庇った結果、腕がポキっと折れていたんですよね。『大丈夫ですか?』と通行人が声を掛けてくれても、腕が痛すぎてその応対すらも億劫で、しばらくうずくまっていました」

その後、夫に連絡することを思いつき、メッセージを送ると、ちょうど家に帰ってきていたことが判明。すぐに迎えに来てもらい、そのまま病院へ直行したと言います。

「打撲だといいなと思いながら、近くの整形外科さんに行くと、『これは折れていますね。手術が必要なので、別の大きな病院を紹介します』と言われて……。お腹に赤ちゃんいるけど大丈夫なのかなと思ったんですけど、その1週間後に手術をすることになりました」

全身麻酔を打った手術は、8時間にも及んだそうです。

「この手術は赤ちゃんに影響しないのかなど、お医者さんにはたくさん質問しました。どうやら全身麻酔をすると、赤ちゃんも一緒に寝てしまうらしいんですね。『そのまま起きなかったらどうするんですか!』ってお医者さんに詰問したのを覚えています」

骨折の手術自体は無事に済んだ一方で、別の問題が発生しました。

「全身麻酔も取れてきたところで、次は『いつ産まれてもおかしくないくらいの状態です。いつでも帝王切開できるようにしておきますね』と言われたんです」

手術を経て、切迫になってしまった栄美子さん。産まれないようにすぐさま「張り止め」をするなどの対処を行うと、堪えてくれて、緊急帝王切開は免れることができたそうです。

「でも、転倒の衝撃で逆子になってしまっていたみたいで、どっちみちこのままでは帝王切開かもしれない、と言われました。いずれにしても手術のあと、10日間ほど入院しました」

その間にも妊婦健診を受けながら、予定日の3週間前に退院できたようです。そして予定日の前、最後の妊婦健診で、「これで逆子だったら帝王切開決定ですので」と宣言されて臨んだエコー。意を決して医師の解答を待っていると、「頭位(骨盤位)に戻っている」と言われた栄美子さん。

「『なんていい子なの!』と思いました。ただ、逆子は直ったものの、骨折をしていることに変わりはないので、帝王切開の枠はおさえつつ自然分娩でいきましょうとなりました」

結果的には、1人目のときと同様、あまり時間もかからずに自然分娩で出産できたそうですが、出産後にも紆余曲折が待ち受けていました。

「少し気になる症状があるということで、しばらくNICUに入ったんですよね。でも特に大きな問題はなかったようで無事に退院できることになりました。そうしたら最後の最後で、『助産師がコロナにかかったので、PCR検査しないと退院させられない』と。度重なるゴタゴタで、さすがに涙が出てきましたね」

度重なる休暇にも、上司が理解し、協力してくれた理由とは?

ちなみに1人目と2人目の妊娠・出産に際し、いずれも産休・育休を取得したという栄美子さん。どのような会社とのやりとりがあり、上司や同僚などとの関係はどうだったのでしょうか。

「先ほどもお伝えしたとおり、1人目のときはつわりがひどくて、急に会社にいけなくなってしまったんです。直前まで問題なく出勤できていたのに、ある日を境に吐き続けて、めまいもして起き上がれない状態になって。そのときは、ちょうどその1週間前に直属の上司にだけは妊娠のことを知らせていたので、『つわりが始まって出勤できそうにない。出勤できるかどうか全然読めないので、朝に出退勤を伝えます』と言うと、理解してくれました」

しかし、そこから「今日も行けません」「今日も無理です」という日々が続いていったと言います。

「結局、『それならもう休んだほうがいいよ。有給も足りなくなるから、傷病手当も申請しましょう。あなたが休んでいる間は、派遣の方を入れるから、気にすることは何もない』と、症状が落ち着くまで3ヵ月近く休ませてもらいました」

一方で、2人目の妊娠は部署を異動したてのときだったそうです。そのため第一子のときに理解を示し、いろいろと協力してくれた上司ではなくなっていたことや、1人目のときの経験を鑑みて、栄美子さんはあえて流産のことと2人目を希望していることを新しい上司にも伝えたのだとか。

「もともと顔見知りの方で話しやすかったということもありますが、流産を繰り返していることと、いまも2人目の妊活を頑張っていることを伝えました。『急に産休に入ったり、つわりで会社にいけなくなったりすることもあるかもしれない』と。そうしたら、本当にその通りになって、2人目のときもつわりが酷くて3ヵ月近く休職しました。でも、事前にその可能性を共有していたので、そこまでバタバタせずに、対処してもらえた形です」

実は、栄美子さんは1人目の育休明けの時短勤務で職場復帰したときにも、面談の場を設けてもらい、「2人目は欲しいと思っています」とはっきりと会社側に伝えたのだと言います。

「向こうも職場として準備や心構えが必要ですよね。私も、いきなり『休みます』と言って迷惑をかけたいわけではないですので、お互いのためを思って、自分の思いや正直な希望を伝えるようにしていました」

そのおかげか、仕事の引き継ぎも滞りなくいき、精神的にも余裕をもって二度目の産休に入ることができたようです。

「1人目がスムーズでも、2人目以降も同じようにいくとは限らない」

最後に、2人目の壁に悩んでいる方々にこんなメッセージを残してくれました。

「1人目がスムーズに生まれたからって、2人目以降も同じように(順調に)いくとは限らないんだなということをすごく感じました。それなら、もっと早くから妊娠・出産すればよかったなって思っています。やっぱり出産って年齢が切っても切り離せないものなので、2人目が欲しいならば、すぐに行動に移したほうが後悔をしないで済むんじゃないかなって思います」

今回は、不育症という経験をされた栄美子さんにお話を聞いてきました。「1人目がスムーズに生まれたからって、2人目以降も同じように順調とは限らない」という言葉が、非常に心に刺さるものがあったのではないでしょうか。また、職場での対話の重要性についても、多くの方に気づきがあるお話でした。