本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「2人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「2人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「2人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介します。もしかしたら、あなたの「2人目の壁」を乗り越えるためのヒントが、見つかるかもしれません。

今回インタビューに応じてくださったのは、切迫早産、1人目のマタニティブルー、産後うつ、セックスレスといった〝2人目の壁〟として立ちはだかることの多いハードルを乗り越えた幸村隆一さん、愛子さん(共に仮名)夫婦です。大学時代に出会い、約10年の交際期間を経て結婚に至った、今年で40歳のお2人は、現在小学3年生の男の子と保育園に通う3歳になる男の子の2人のお子さんとともに、東京にあるターミナル駅から約45分の街にあるお家に住んでいます。

隆一さんと愛子さんが2人目の壁にぶつかった背景と、乗り越えるための工夫、そして乗り越えたからこそ感じる「強さ」とは何か……愛子さんへのインタビューから探っていきます。

(動画のご紹介)
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「子どもはどうなの?」と聞いてほしい気持ちすらあった

2年の友だち期間、8年の交際期間を経て、ともに28歳になる年に結婚した隆一さんと愛子さん。そのきっかけとなったのは東日本大震災だといいますが、一方で愛子さんには別の思惑もあったようです。

「私としては、もともと30歳になる前には結婚したい思いがありました。もし子どもを3人産むんだったら、逆算すると1人目は20代で産むのが現実的かなって。だから、割と事あるごとに、『どう思っているの?』と言っていましたね」

しかし、立ち仕事の影響から、椎間板ヘルニアを発症してしまい、出産・子育てに不安を感じ、一歩を踏み出せなくなったそうです。

「子どもは欲しいけど、自分の体的には不安があって、〝どうしよう〟という状態が続きました。ヘルニアを治すために内視鏡手術もしたので、腰が落ち着くまでは妊活は控えようと夫には伝えていましたね」

様子をみること約5年。その間、まわりから「子どもはまだなの?」「そろそろ?」といったプレッシャーを受けたことはなかったといいます。このことに関しては、むしろ「どうなの?」と聞いてほしい気持ちすらあったのだとか。

「あとで親にも聞いたら、『そういうのは聞いてはいけないものだと思っていた』と、言っていました。でも、私の場合はきっかけにもなるので、聞いてくれても良かったと思っています」

その後、夫婦で話し合いを設け、「やっぱりそろそろ欲しい」ということで意見が一致し、妊活を開始。半年を経て、第一子を妊娠しました。妊娠こそ順調だったものの、妊婦健診の際に「切迫早産」の診断が出て、1ヶ月間の入院を強いられました。

「子宮頸管が短いということで、入院か自宅で安静にするかという二択を迫られて、初めての妊娠だったこともあって、入院を選ぶことにしました。でも、どこも痛くないし、そこまで切羽詰まった感じでもなくて、割と病院内で普段どおりに生活することができました。私は、変に社交的なところがあるので、誰とでもわりと楽しくおしゃべりができるので、今でも仲良くしているママ友ができたり、院長先生と世間話をしたり。あとは仲良くなった栄養士さんがいて、出産に対する不安感を伝えると、参考になる絵本や本を紹介してくれたりもしました」

その後、退院することができたそうです。そして出産をむかえたのは、予定日まであと少しの38週目に入ったばかりのときのこと。「いま行くよ」という子どもの声を聞く夢をみた夜中に、破水していたことに気づいたと言います。

「夜中の3時でした。慌てて夫を起こして、産院に行きました。確か、ちょうど夫は仕事が休みの次の日でした。もちろん初産なのですぐには出てこなくて、助産師さんが夫に『一度、お仕事に行かれてもいいかもしれません』と言われたんですが、『そばにいて!』って言って急きょ休みを取ってもらって、立ち会ってもらいました。その時はまだコロナの影響もなかったので、なんか研修医の方かわからないんですが、お医者さんもたくさんいて、温かい感じの雰囲気で出産しました」

切迫早産を乗り越え出産も、嬉しいはずがマタニティブルーで涙が止まらない

出産自体は大きな問題もなく、無事に済んだと語る一方で、産後はかなり辛い体験をしたようです。愛子さんはこう続けます。

「マタニティ・ブルーというやつですかね。まさにそれになりました。子どもが生まれたあと、悪寒や戦慄を常に感じていて、ずっと寒くて、授乳のために夜中に起きるとガクガクと歯が震えるほどでした。出産して、自分の赤ちゃんに会えて、とても嬉しいんだけれど、嬉しいはずなのになぜか涙が止まらない、そんな感じの精神状態になっていました」

もともと明るい性格で、誰とでもすぐにおしゃべりが出来るにもかかわらず、入院中やその後の里帰り中はずっと不安で、神経質になっていたのだとか。それは、初めての産んだ命に対し、自分が子育てができるか不安だったからだそうです。

「里帰りをしていたのですが、母親にブチ切れたこともありましたし、会いに来てくれた親戚に対して、『会いたくないから私はいい』って、部屋に閉じこもったり。みんながサポートしてくれているのは分かるけれど、ずっと孤独を感じていて、もう本当にずっと泣いていました」

そうした症状は何年にもわたって続いたようです。『産後神経症』とも呼ばれる自律神経の乱れの影響で、アレルギーのクリニックにも通わなければならなくなったと愛子さんは言います。

「2人目を産んだ時も病院に通っていたので、6年近くその影響が残っていたようです。頭痛の時とかは、倒れてしまうくらいの頭痛だったし、そのまま嘔吐したり、下痢することもあって、上の子にはいろいろと我慢させたなという思いがあって。それでもともと希望していたこともあって、2人目のことを徐々に考え出しました」

産後から続くセックスレスの中、2人目のつくるために取った行動とは?

ただ、実は第一子を出産後、愛子さんの体調悪化の影響もあってセックスをする機会が一度もなかったそうです。土日が仕事の隆一さんは、昼間の子育てこそ協力的ではあるものの、平日の夜はすぐに寝てしまっていたのだとか。

「2人とも『2人目は欲しいね』という意見で一致しているものの、本当に第一子を産んでから一度もそういうことをしていなくて。まあ、もともと夫は積極的なほうではなかったのですが。ちょっとつらい時期もあったんですけど。だから夫に「そういうことをしないと子どもってできないんだよ」って言って。カウンセリングとか行こうかな、って思ったぐらいだったんですよね。それで、たしか1人目が3歳のときだったんですが、通っている保育園の先生に『妊娠しました?』と聞かれたことがありました。どうしてですか?と聞いたら、うちの子が『あかちゃんの絵を描いたので』って。その絵を見て、私はまた凹んでしまって」

「行動に移さないとできないよ」と言うものの、相変わらず隆一さんからはセックスの誘いがなく、しびれを切らした愛子さんは行動に出ました。

「家族旅行で温泉旅館に行ったんです。当時、生理のアプリを使っていたのですが、ちょうど次の休みのときに排卵日にあたっていたので夫をけしかけて、3人で遠出をしました。セックスレスを克服するには、シチュエーションを変えてみるといいという話をインターネットで読んでいたので、『ここしかチャンスはないかもよ』と夫にも伝えて、出かけたのを覚えています。私としては、もうこれがラストチャンスで、これで授かれなかったら1人を大切に育てるという覚悟をもっていました」

幸運なことに第一子は早々に就寝してくれた。そして、6年ぶりに妊活が実現。ただ、旅行から帰宅した後は妊活が続かなかったそうですが、なんと次の生理が来なかったそうです。

「あれ? って気がついて。でも、まさかそんな奇跡みたいな、1回だけでどうかなって思ったんですけど、本当に2人目ができたんです。なんかほんとに奇跡の子じゃないんですけど、ほんとに6年ぶりの1回で!」

しかし、愛子さんは戦々恐々としていました。最初の関門は切迫早産です。特に1人目のときに切迫早産の診断を受けた愛子さんは、2人目ではシロッカー手術と呼ばれる、子宮頸管の奥を縛る手術を受ける必要があるのではないかと考えていたからです。

「理由はよくわからないのですが、シロッカー手術は不要でしたし、2人目のときは切迫早産で入院みたいなことはなく、順調に妊婦生活を送ることができました」

1人目の育児と大きく変えた夫との役割分担、その結果・・

不思議なことに、2人目のときは不安だったマタニティブルーや産後うつになることがなく、むしろアレルギー症状がなくなり、精神的な部分だけでなく、肉体的な部分でも健康になったと言います。なぜなのか。愛子さんはこんなふうに自己分析しています。

「1人目のときと違って、2人目の子育てでは夫のお尻を叩いて、半強制的に子どものお世話をしてもらっています。たとえば夜中にお腹が空いて赤ちゃんが泣いたとしますよね。私はガクガク震えながら、授乳し、寝かしつけてというのを自分でやっていました。夫は、1人目のこのときは起きてくれることもありましたが、基本的には何かをしてくれるわけではありませんでした。なので、2人目のときは、授乳だけしたら『あとはよろしく』と、夫に任せて、私は寝ちゃうことにしたんです。授乳期間が終えたあとは、寝るのはパパと2人の子どもが同じ部屋で、私だけ1人の部屋で寝ています。派遣なので不定期ではあるものの、私自身も働いているなか、夫のほうはといえば、土日は100%仕事なので、どうしても土日は押し付けられている感じがしていて。だから、寝かしつけも含めて、平日の夜は任せちゃうんです。でも、そうこうしているうちに、みるみるうちに私の体調がよくなって、頭痛もしなくなったし、本当に調子がいいんです」

2人の育児。周囲に頼ることによって「タフ」になった私

愛子さんの行動の変化は、夫婦の役割分担にとどまりません。たとえば自治体公認のファミリー・サポート。1人目のときは変な勧誘とかされそうで怖いと尻込みしていたものの、2人目の現在は、「やってみなければわからない」と、利用してみることにしたそうです。

「実家が少し距離のあるところに引っ越しをしてしまった影響もあるんですけど、やっぱり子どもが2人いると、いっぱいいっぱいになる時がどうしてもあって、生活に追われている自分に気づくこともあります。そんなときに、自宅かお相手の家を使って1時間いくらで預かってもらう自治体のサービスに登録して、利用してみたんです。そうしたら、元保育士さんなんですけど、本当に良い方と巡り会えて、たとえばPTAの集まりとか、そういうものがあるときには積極的に利用させてもらっています。いまはもう自治体は離れ、個人でやりとりしているんですけど、その方がいるという安心感だけで気持ち的にはとても楽になっています」

愛子さんの変化はほかにもあります。「お外で遊ぼう会(仮称)」という公園を活用した子育て世代の集まりにも参加するようになったそうです。

「上の子のときは、夫の仕事が夜遅いこともあって、朝は平気で9時とか10時まで寝ていて、公園なんかも私自身が疲れてしまうので、ぜんぜん行ってなかったんですけど、2人目のときは上の子が小学校に行くので自然とちゃんと朝7時くらいに起きるようになりました。よく寝て、朝もちゃんと起きるという規則正しい生活のおかげか、あまり疲れない体にもなっていたので、『お外で遊ぼう会』というまちづくりの一環で行われている取り組みにも参加するようになりました」

規則正しい生活は、2人目が保育園に通うようになって、さらに進んだようです。

「仕事をしだして、2人目が保育園に行くようになると、朝はちゃんと起きるようになるし、お昼寝もしてくるし、夜もぐっすりと眠るようになってくれて。なんか、保育園ってすごいですよね。本当に感謝しています。そういう意味でも、私自身、働きながらのほうがメンタル的にバランスが取れるんだと思います。育児だけに頭がいってしまうと、どうしてもいっぱいいっぱいになって、自分を追い込んでしまうみたいなので」

ただ、働きすぎもよくないと思っているそうで、適度に自分の時間をとりつつうまく働き続けられるバランスを、常に試行錯誤しながら探している感じなのだとか。そして、胸を張ってこう愛子さんは語ります。

「8年前の自分と今の自分を並ばせて比べたいくらい、めちゃくちゃタフになったんですよ、私。この8年でほんとうに周りの誰が見てもタフになった。背はもともと大きいんですけど、『なんかおっきくなったね』とか『顔色が良くなったよね』ってみんなに言われます」

2人目を悩んでいる人に伝えたい、2人を産んでみてはじめて分かったこと

最後に、愛子さんはこう振り返ります。

「もしかしたら、子どもがいたら、子どもが原動力となって変わっていけるのかもしれませんね。子どもと一緒に親も成長するとよく言われることですが、本当に私もその1人。ただ、私の場合、2人を産んでみないとわからなかったことなので、もしこれから2人目を考えている方がいるのならば、ぜひ伝えたいです。一緒に成長しながら子育てしていけば道は開けるから、やってみてほしい、諦めないでほしいって」

いかがでしたか? 1人目の出産・育児に追われ、いろんな壁を感じながらも、2人を出産・育児を経験したことで、「成長できた」と話す等身大の愛子さんのお話は、2人目や3人目を躊躇している方にとって、参考になる部分も多かったのではないでしょうか。