2022年4月に改定された新たな診療報酬では、不妊治療が保険適用されることになりました。賛否両論もあるその具体的な内容については、こちらの齊藤英和氏の記事や厚生労働省のホームページを参照いただければと思います。いずれにしても言えるのは、これまで以上に不妊治療への注目度が高まることではないでしょうか。
そこで今回は、第一子、第二子ともに不妊治療の末に妊娠・出産した溝端浩司さん・朱音さん夫婦(仮名)の経験談をご紹介していきます。第一子を体外受精で授かるまで5年以上の歳月がかかった溝端夫妻は、その約2年後に凍結保存していた受精卵で第二子の妊娠・出産をしています。
そうした一連の出来事において、どのような経緯があったのか。そして夫婦でどんな話し合いを行い、決断をしていったのか。そのときどんな思いを持っていたのかなどについて聞いていきます。
なかなか妊娠しなかったけれど、焦りは感じていなかった
共通の趣味を通じて出会い、約1年半の交際期間を経て結婚した浩司さんと朱音さん。仕事に趣味にと忙しかったため、〝子どもはまだ早い〟と結婚から約2年は避妊をしていたと朱音さんは話します。
「結婚したときは年齢的に私が29歳で、夫が33歳だったこともあって、子どもはつくろうと思えば簡単にできるものだと思っていました。だから、いまは2人でやりたいことをやろうと言っていました」
その後、溝端夫婦は〝そろそろ子どもができてもいいかもしれないね〟ということで避妊をやめたそうです。しかし、すぐに授かると考えていたものの、予想に反して2年近くの月日が流れていきました。
「32歳のときに、なかなか妊娠しないので、ちょっと変だなと思って、近所にある大きい産婦人科医院に行きました。それでまずはタイミング法をということになりました。さらに並行して子宮を調べてもらったところ、子宮の真ん中に大きなポリープが見つかったんです」
「不妊治療を進めていく前にポリープを取らないと始まらない」との説明を受け、朱音さんは手術が可能な別の病院を紹介されました。そこで無事にポリープの除去はできたものの、手術の経過観察期間が必要とのことで約1年にわたって不妊治療は中断しました。ただ、そのときは特に焦りは感じていなかったと言います。
「『ポリープがあるから着床しづらい』ということを言われていましたし、まだ32歳とか33歳くらいだったこともあって、ポリープさえなくなればすぐにできると思っていました」
1年の中断期間を経て、病院から妊活へのゴーサインが出ました。しかし、大きく2つの理由からすぐには不妊治療を再開しなかったようです。
「やっぱり不妊治療って疲れるというか、エネルギーを使うので、すぐに再開しよういう気にはなれなくて。それから、ちょうどそのときに夫が体調不良になったんです。とにかく、再開さえすればすぐにできるだろうと考えていたので、体調が回復するまで待とうかみたいな感じでした」
その後、浩司さんの体調が回復し、安定するのを待って、妊活を再開することになっていきます。
1年以上をかけて合計12回の人工授精に試みるも……
「それで不妊治療を再開するにあたっては、最初に行った産婦人科医院ではなく、不妊治療を専門的にやっているところに変えました」
そこでもタイミング法を行いました。しかし何度かチャレンジするもうまくいかなかったことから、浩司さんの精子を検査することに。すると、WHO(世界保健機関)による基準値と比べて大きく数値が低いことが判明。そこでタイミング法から人工授精へとステップアップすることになりました。
「それからは、先生から提案のあった人工授精をしました。1年以上をかけて、合計で12回か13回ほどやったんですが、妊娠にはいたりませんでした」
その時点での朱音さんの年齢は35〜36歳ということもあり、疑問を持たずに淡々とこなしていたと言います。
「先生から言われたことでしたから、なんでこんなにやっているのにできないのかなといった疑問は出てこなくて。今だったらなんで1年以上という時間を割いて、しかも1回2万円以上するお金もかけ、何の疑問も持たずにやっていたんだろうって思いますけど、渦中にいたときには、そうしたことに頭は回らなかったですね」
そのようにして不妊治療が1年を超えたある日、2人に転機が訪れました。たまたま予定があり、いつもと異なる曜日に病院に行くと、その日は外来担当医の日で、開口一番に「なんで朱音さんは、こんなに何回も人工授精をしているんですか?」と聞かれたそうです。
「『先生に提案されたから』と答えたら、その先生は『これだけやってできないということは、どういうことかわかりますか? 病院を変えるという選択肢もありますからね』と言ってきたんです。その言葉にすごく驚いて、その先生が推奨してくださった病院に変えてみました」
「優しく手を差し伸べるだけが愛ではない」と感じた理由
次に訪れた病院は、溝端夫婦にとって驚きの連続だったそうです。主治医は最初から夫婦の状態を徹底的に調べたうえで、「お2人には体外受精しかありません」ときっぱり言ってきたのだとか。
淡々としたその口調に、最初は「もうちょっと寄り添ってくれたり、優しくしてくれてもいいのに」と思ったものの、それまで2つの病院で本当にできるのかできないのか、よくわからないままに治療してきた数年間が頭をよぎり、朱音さんと浩司さんはむしろ真面目に仕事をしている感じが心に刺さったのだと言います。
「優しく手を差し伸べるだけが愛ではないというか。淡々と『お2人の場合だと、あとこれだけの時間しか残されていなくて、確率的にはこれくらいです』と現実を突きつけられたことに、むしろ妙に感動したんです」(朱音さん)
「もちろん体外受精しかないみたいなことを言われてショックもありましたが、それがおそらく現実なのだろうし、『いちばんの近道はここです』って示してくれているわけですからね」(浩司さん)
自分たちはあくまで子どもができなくて困っているわけであって、優しくしてもらうことが目的ではない、という事実に気付かされたのです。さらにこうも言われたそうです。朱音さんは続けます。
「それからもう1つ言われたのは、『体外受精だろうと顕微授精だろうと、妊娠率は30%くらいで変わりません。これは別に病院の問題でもなくて、確率の問題です』という事でした」
畳み掛けるように、金額面での負担も伝えられ、「それでもやりますか?」と覚悟も問われた溝端夫妻。浩司さんも朱音さんも、「最初に現実を突きつけられ、覚悟を問われたことが大きな転換点になった」と口を揃えます。
「その問いがないまま始めていたら、〝なあなあ〟で進めていたと思います。でも、覚悟を問われたことによって2人で本気で話し合い、『やる』ということを2人で決断したのはすごく大きかったですね。もちろん病院は2人で揃って行っていました」(朱音さん)
4つの受精卵が確保でき、2個目の移植で妊娠・出産へ
「やりますかって先生に聞かれて、何ヵ月も悩むということはありませんでした。2人で話をして、やっぱり子どもは欲しいという結論だったので、選択肢はそれ以外にないよねってことで、比較的すぐに決断しました」(浩司さん)
覚悟を問われた溝端夫妻は、話し合いの結果、体外受精に臨むことにしました。ちなみにそのとき朱音さんは36歳。卵巣の予備能の目安となるAMH(アンチミューラリアンホルモン)という数値は、検査したところ38〜40歳程度でした。
さっそく採卵を行うと8個の卵子が取れたといいます。それらを受精させると、4つが胚盤胞と呼ばれる状態まで分割が進みました。体外受精でしかできないと言われた最大の要因は精子の数値にあったそうですが、「たまたまその日に採精したものだけ数値が良かった。それが功を奏したのではないか」と浩司さんは言います。
「4つの中で一番良い状態のものを子宮内に戻して、残りの3つは冷凍保存しました。でも、その1回目ではうまくいきませんでした」と朱音さん。「結構大きなショックを受けたのを覚えている」そうですが、それでも間を置かずに2回目の移植を行ったところうまくいきました。
「2個目でうまくいったので早いほうなのかなとは思いますけど、一方で私たちは人工授精で1年以上の月日を割いていて、あの時間は何だったんだろうかという思いもありますけども」
※本インタビュー記事は、不妊治療を経験した人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。