「僕はもう本当に、不安というのはまったくなくて、とにかく喜びしかなかったんです」

そう語るのは22年間、生放送のTV番組にレギュラー出演を続けるタレントの薬丸裕英さん。4月19日に放送された『直撃!シンソウ坂上』で私生活をお茶の間に公開し、ご存じの方も多いと思いますが、実は薬丸さんは5人の子どもを持つ父親です。

そんな元シブがき隊で現在はマルチタレントとして活躍する薬丸さんにインタビューさせていただきました。

今回の前編は、TVでも話題となった「アイドル同士の交際や妊娠・出産の経緯」と「家族への思いや価値観」についてお聞きし、後編(次回)は「家族生活や教育のこと、子育てへの考え方」を中心にお聞きしました。

「親になるのに年齢は関係ない」。薬丸さんが“喜び”しか感じなかった理由

人気絶頂期にあったアイドル同士の授かり婚──。そのときの心境について、薬丸さんは言います。

「当時、僕は24歳でしたけども、結婚することも、親になることも、子育てをすることも、まったく不安はなかったですね。取り越し苦労かもしれないけれど、事務所から『堕ろせ』といわれるのではないかという懸念はありました。でも、自分の中でその選択肢はまったくなかったので、家庭を築くという面でいえば本当に不安はなくて、喜びしかありませんでした」

24歳で結婚。そして妊娠・出産に至った薬丸夫妻。1990年当時の平均初婚年齢は、男性で約28歳、女性で約26歳といわれており、どちらかといえば若くして家庭を築くことになったといえます。この点について、薬丸さんは次のように話します。

「僕は、結婚や出産について、あまり年齢は関係ないと思っているんです。もちろん法に触れるのは論外ですけど、そうでなければ、本人たちの家族に関するスタンスやモチベーションが尊重されるべきで、それには早いも遅いもない。大切なのは、“どのようにして夫婦や家族というものを築いていくのか”について、自分たちなりの考え方を持っているかどうかです」

薬丸家に限らず、メディアやインターネットでは、虚実ないまぜでいろいろなことが語られています。そうした外部からの声について、「あまり気にしてこなかった」と言います。

「基本的に僕は、まわりで何を言われてもあまり気にしません。先日の坂上くんの番組でプライベートについて触れたのも、たまたまいろんなご縁が重なったからであって、自分から手をあげたわけでもありません」

「これは僕が24歳で子どもの親になり、それから5人の子宝に恵まれて家族を築いてきた中で築いた持論ですが、家族のことについては、自分たちなりに考えてやっていることであれば、それでOKなんです。その家族の考え方やルールがもっとも尊重されるべきだと思います。もしかしたら年配の方から若い夫婦を見たら危なっかしく見えるときもあるかもしれません。でも、その若い人には若い人なりの考え方があって子育てや教育をしているのであれば、まわりがとやかく言うことではないと思います」

家族のためだから「個人的なこだわり」を捨て、前に進むことができた

家族を持つことに対して、「喜びしかなかった」という薬丸さんですが、しばらくして仕事で暗雲が立ち込めた時期をむかえました。薬丸さんは、ハニカミながらそのときのことを次のように述懐します。

「4月の番組でも放送されましたけど、僕には仕事に対するこだわりがあったんです。そのこだわりは他人から見たら『なにそれ?』みたいなものなのに、なかなか本人には気付くことができなかった。でも、家族が気付かせてくれたんです。そんな僕のこだわりは、まったく大したことではないってことに」

24歳で自身と同じアイドルだった石川秀美さんと授かり婚をしたのち、子を持つ家庭的なタレントということで「パパドル」と呼ばれ始めました。そのことに抵抗感を覚えた薬丸さんは、「パパドル」としての仕事を断っていきました。

その結果、15歳のデビュー以来びっしりと埋まっていたスケジュールが、オセロのように黒から白に変わっていき、仕事が途絶えていったのです。

そして、一時期は“仕事があるフリ”をして出かけることもあったという薬丸さん。当時は、「このままずっと仕事がなくなったら家族はどうなってしまうのかという不安もゼロではなかった」と言います。そんなある日、妻と長男がテレビを見てゲラゲラ笑っている姿を見たとき、意識改革が起きました。

「家族のためを俯瞰して考えてみたら、自分のこだわりってすごく“ちっぽけ”なんだなって気づいたんです」。このとき以来、アイドルを辞め専業主婦となった妻と5人の子どもたち(3男2女)のために、薬丸さんはこだわりを捨てて働くことを選んだのです。

夢を押し付けるのではなく、共に夢に向かって歩み続けることが喜びにつながる

では、薬丸さんにとって、家族や子どもの存在とはいったいどういうものなのでしょうか。

「やっぱりパワーの源ですよね。仕事を頑張れるのも子どもがいたから、家族がいたからだと思いますし、もしかしたらこれだけ子沢山じゃなかったら、もっと早く芸能界を引退していたかもしれないです」

先ほどの家族のために仕事におけるこだわりを捨てたというエピソードからもわかるように、自身のなかで、子どもたちの影響はかなり大きいということでしょう。薬丸さんは続けます。

「僕にとって子どもたちの存在はひじょうに大きいですね。人間は生活をしていれば、いろいろあります。たとえば僕は先ほども言ったように仕事がなくなりかけたり、週刊誌に虚実ないまぜで離婚とか別居とか書かれたり、視聴者のみなさんからいろんなご意見をちょうだいしたりといったこともあります。だけど、その苦労とかストレスを『やる気』に変えてくれたのは、ほかでもない家族や子どもたちです」

ただ、子どもが5人いれば、それだけ教育費や養育費はかかりますし、精神的な負担や責任も大きくなっていくことは想像に難くありません。特に子どもを海外留学に行かせている薬丸さんは、そうした指摘を受けることもあるのだと言います。

「特にうちの子どもたちは海外留学もしているため、『(経済的に)大変でしょう』と言われます。けど、僕は逆に自分の道を切り開こうと頑張る子どもたちからパワーを貰っている。だから、ウィンウィンの関係だと思っています」

「夢を押し付けることはダメだと思うけど、一緒に夢を追いかけることはすごく大切なことだと思っています。人間は目標を持たないといけないというのが僕の持論なんですけど、それは子ども込みの目標であれば、より達成したときの喜びは数倍にも数十倍にもなります。また、その目標は必ずしも達成される必要はなくて、経験と努力はその人の財産になるとも確信しています」

「今でも集まる」と話すパパ友・ママ友との交友関係とは?

5人の子どもを育ててきた薬丸さん。当然のことながら、子どもの数が増えれば増えるほど、それだけパパ友やママ友との人間関係も増えていったそうです。

「よく、『薬丸さんって普段どんな生活をしてきたんですか? パパ友とかいるんですか?』などと聞かれることがあります。みなさんどんなイメージをお持ちなのかわかりませんが、本当に普通ですよ。日曜日や僕が休みの日とかには、パパ友家族やママ友家族と一緒に出かけたり、居酒屋さんを予約して、みんなで一緒に食事をしたりとか、普通に生活していました。今でも集まって、旧交を温めることもあります」

さらに、こうしたパパ友・ママ友との付き合いは、外出だけでなく、お互いの家を行き来することも少なくなかったのだと薬丸さんは言います。

「子どもが風邪をひいてしまったときには、代わりに子どもを迎えに行ってもらい、預かってもらうこともありました。ただ、どちらかといえば我が家に遊びに来てもらうことのほうが多かったですね。妻が言うには、うちは子どもが多いので、多少子どもの数が増えても気にしないというか。だから、けっこういろんなお子さんを預かってきました。5人の子どもの親なので、お手の物ですよ」

結婚・出産を機に芸能活動を引退した妻・秀美さんへの思い

妻である秀美さんは1990年、結婚・出産を機に芸能活動を引退したことで知られます。5人の子どもたちを専業主婦として育て上げてきたそんな妻に対しては、どのような思いを持っているのでしょうか。

「まずひとつ良かったことは、考え方が一緒だったことです。考え方というのは、自分たちの子どもは、自分たちで育てるという考えのこと。もちろん共働きがダメだということではなったくないのですが、家族への考え方として僕も妻もなるべく自分たちで子どもを育てたいというものがあったんです。そのために、自然と僕が外で仕事をしてお金を稼ぎ、妻が家庭に入るという選択肢になったということです」

「ご存じのように、僕は生放送の番組を長らく続けてきたこともあって、家をあける時間も少なくありませんでした。そうした中でも、ベビーシッターやお手伝いさんなどの助けを一切借りることなく5人の子どもたちを育ててきてくれた妻には、本当に感謝の気持ちしかないです」

そんな感謝いっぱいの妻である秀美さんについて、薬丸さんはこのようにも言います。

「彼女は我が家のゴッド的な存在ですよ。本当に神に匹敵するくらいすごいと思います。だって、5人の子どもを産んで育てるというのは、並大抵のことではないですからね。それをやっぱり芸能界という華やかな世界にいて、そこをやめて家庭に入って、子育てに専念してくれたわけですし、実際に子どもたちが今立派に育ったと思っているので、彼女は本当に神的な存在です」

今5人の子どもを持つ薬丸さんですが、実は、「子どもは何人」という計画は、もともと何も持っていなかったそうです。

「やっぱり最初は24歳で子どもを産んで、若い夫婦が手探りで子育てを始めたわけですから、いろんな苦労がありましたし、手探り状態でした。子どもの数についても『何人にしよう』という計画はありませんでした。それにもかかわらず、自然に任せて5人という子宝に恵まれたのは、妻のおかげとしか言いようがありません」

今回のお話では、いくどとなく家族への感謝の言葉が出てきていました。24歳で結婚し、家族を持つことになった薬丸さんにとって、妻や子どもたちというのは、それほど大切な存在だったということでしょう。

後編では、薬丸家の子育てへの考え方や教育方針、家族を一つにするための「家族会議」などについて、赤裸々に語っていただきました。