毎日1時間以上もかけて通勤する意味に疑問を感じてしまった
現在、勇太さんは不妊治療中に勤めていた仕事を辞め、個人事業主として独立した形で働いています。元々は安定した仕事に就いていたそうですが、起業という道を選んだのはなぜだったのでしょうか。「もちろん不妊治療や、その後の子育てがすべてというわけではありません」と前置きをしたうえで、勇太さんはこう話します。
「影響はなくはないですね。特に2人目の不妊治療中には、妻に付き添えない場面が少なくありませんでした。子どもの面倒も、義理の母に頼ることが多かった。不妊治療が終わったときに、1時間以上もかけて通勤するだとか、仕事の都合で家族のことを後回しにしなければいけないこととか、そういうのってどうなのかなって、ふと考えたんですね」
結局、職場と自宅が距離的に離れてしまうと、どっちも中途半端にならざるを得ない。それだったら、自宅と職場は近いほうがいい。もっというと、起業して自分で事業をすれば、家族との時間を自分でコントロールして確保できるのではないか──そんなふうに勇太さんは考えたそうです。
「自分の生き方を考えたときにも、1日に何時間もかかるストレスフルな通勤を、この先、定年まで20年間以上も続けられないかもしれないと思いました。自分のなかでそんな考えがあるんだったら、ストレスが爆発するまで我慢するよりも、今踏み切ってしまったほうが多分いいだろうなって、根拠はありませんが、そう思いました」
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2人目を妊娠した瞬間に、〝自分のための人生を歩もう〟と決意した
頭では独立したいと思っても、実際に行動に移すとなると話は別。いったい何が勇太さんの背中を押したのでしょうか。
「1つは独立したあとの生活をリアルで体験できたことです。実は、2人目が生まれたときに2ヵ月の育児休暇を取っていて、その経験が大きかったですね。こんな感じの生活になるのか、それならやりたいなって。それでその次の年に会社を辞めたんです。まあ、個人的には育児休暇も1年くらい取りたかったんですけど、そこまでの勇気はなかったです(笑)」
他方の美佐恵さんも、2人目を出産後に、やりたかった仕事に就くため、転職をしています。
「29歳から2人目を妊娠する35歳まで、本当に仕事と不妊治療、あと1人目の育児のことしか頭になくて、自分のことや人生に向き合う時間も余裕もまったくなかったんですよね。でも、2人目を妊娠した瞬間に、やっと自分のことにも目がいくようになって、〝これからは自分のための人生を歩もう〟って決意したんです」
実はずっと、以前の仕事ではなく、好きなことや専門的なことを自分の仕事にしたいという思いを抱えていたという美佐恵さん。
しかし、不妊治療中はそういうことを具体的に考える余裕もなかったし、治療にはお金もかかるうえ、治療がいつまで続くかもわからないなかで、むやみやたらに当時の安定した仕事を辞めるわけにもいかなかったのだと言います。
「はっきりいって、自分の気持ちに蓋をしていたんです」
「これでやっと解放される」という2人の共通した安堵の気持ち
美佐恵さんは、2人目を妊娠中からさっそく行動に移していきます。育児休暇中には積極的にスキルアップのためのセミナーや起業のための勉強会などに参加しました。
結果的に、そうした活動のなかで意気投合した仲間が関わる、まちづくり事業を行う会社に転職したそうです。
「苦労して得た子どもたち。今度は、その子どもたちに〝生き生きと楽しく自分の力で働いている私たち〟を感じて、成長してもらえたらいいなって思っています」
お2人に共通するのは、「これで解放される」という安堵の気持ちが大きかったこと。
もちろん「あの時間やお金があったら、もっといろんなことができたんじゃないか」と想像することがないと言ったら嘘にはなる。けれど、どちらかといえば、それまでの経験が糧となり、自分の人生を前向きに捉えられるようになったといっても過言ではありません。
一連の不妊治療の経験を良い思い出とは言い切れないものの、無下に否定したり後悔したりする必要だってないのかもしれない──米村さん夫婦の言葉からは、そんなことを感じさせられます。
※本インタビュー記事は、不妊治療を経験した人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。