本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。

今回は、1歳になるお子さんがいる栗林タクミさん(40歳・仮名)とナミコさん(39歳・仮名)夫婦のお話です。

第一子を体外受精で妊娠・出産したナミコさん。その際に残った複数の受精卵を前にして、「2人目にチャレンジしたい。2人目を産みたい」と思ったこともあったものの、悩み抜いた末に妊娠を諦める選択を取りました。

具体的には、受精卵を体内に戻すのではなく、また破棄するのでもなく、研究用に提供することにしたそうです。ナミコさん、タクミさん夫婦は、なぜそうした決断に至ったのでしょうか。詳しく聞いていきます。

「子どもができづらいと思う」と話した時に言った夫の言葉

7年前の2017年、友人の紹介で出会ったタクミさんとナミコさん。お互いに30歳を過ぎていたことから、当初より結婚を意識した交際でした。ただ、もともと真面目で慎重なタクミさんの性格と、ナミコさんのキャリア形成における過渡期であったことから、結婚に至るまで2年半ほどの歳月が必要だったといいます。

「結婚したのは私が34歳になったとき。夫は、『交際してすぐに結婚したら、不誠実に思われるんじゃないか』って感じていたみたいです。結婚を意識して交際を始めたのに、なかなか結婚を切り出してきませんでした。それに加えて、私自身もちょうど転職したばかりだった仕事のこともありました。キャリアを積んでいくことを考えると、結婚や妊娠・出産はもう少し後でもいいかなと」

ナミコさんの頭の隅には、常に妊娠適齢期のことがありましたが、周囲に30代後半で出産している人が割といたため、年齢からくる不妊のことはそこまで心配していなかったそうです。それよりも頭によぎっていたのは、20代後半に判明した子宮内膜症や子宮筋腫のことでした。

「10年以上前のことですが、最初に子宮内膜症になりました。チョコレート嚢胞があるということで、ピルを処方されました。それから少し落ち着いていたのですが、2年くらいしたときに子宮筋腫も判明しました。経過観察という状態でしたが、2019年の検査で大きくなってきていることがわかり、場所も良くないところだったので、手術で取ることになったんです。そんな感じでずっと婦人科に通ってきたこともあって、『自分はきっと不妊で苦労するんだろうな』と感じていました」

そうした背景から、結婚する前の段階でナミコさんは、タクミさんに対して「子どもができづらいと思う」という話をしていたそうです。自分自身に不妊の可能性があることに関して、もともとプレッシャーのようなものを感じていたナミコさんはこう言います。

「子どもができないことに関して『僕は気にしない』という反応でした。その言葉に救われた部分はあります。もちろん、仮に子どもができた場合のことも話し合いました。職業柄、夫が子育てにあまり関われないであろうこと、双方の両親とも遠方に住んでいて頼れないこと、私自身もフルタイムで働く気でいること、そうした状況での子育ては大丈夫なのか、という内容でした」

仕事をすべてストップさせ、不妊治療に専念することに決めた

子宮筋腫を除去した後に結婚。その後、しばらく夫婦ふたりの生活を続けていましたが、2021年1月に子宮内膜症の症状が出てきました。医師からの推奨でナミコさんは手術の際にピルの服用をやめていたためです。

「手術に向けてピルを服用しないようにと指示されました。また、内膜症自体の症状も落ち着いていたので、手術後もピルは飲まなくていいですよ、と言われたんです。そうしたら2年後くらいに内膜症の症状が出てきたので、病院に行ったところ、『症状は軽度なものだから、もし子どもをつくろうと考えているのならば、妊活したらどうでしょうか』というアドバイスをもらいました」

その年の4月から、仕事のステップアップのための海外長期研修も視野に入れていたナミコさんでしたが、「今しかない」と仕事をすべてストップさせたうえで、不妊治療に臨むことにしました。しかし、仕事を続けながら妊活をする選択肢はなかったのでしょうか。

「4月の段階で向こう1年間のスケジュールがほとんど確定するような仕事なので、仮に(不妊治療のために)『明日、ちょっと病院に来てください』と言われても調整をつけるのが非常に難しいことが目に見えていました。だから仕事と不妊治療の両方とも宙ぶらりんなままズルズルといくくらいなら、一度スパッと仕事をストップしてみようと……」

ナミコさんはタクミさんと相談のうえ、最初から不妊治療のために産婦人科へ行くことにしました。

「最初の半年間はタイミング療法を見てもらいました。でも、予想通りといいますか、妊娠の兆候はなくて、自分の体のことや、仕事のこと、年齢などを総合的に判断して、人工授精を飛ばして、体外受精をすることにしました」

2回目の採卵、ぬかよろこびが怖かった妊娠検査薬の結果

早速、採卵をしたものの、そのときの受精卵はすべてを戻しても妊娠に至らず、2度目の採卵をすることになりました。

「2回目は、1回目よりも多く10個ほどが取れました。その最初の1つを戻したときに、それまでと違って基礎体温が下がらなかったんです。『もしかしたらうまいこといったのかもしれない』と思って、妊娠検査薬を自分でやってみたら、ラインがはっきりと出て。ただ、ぬかよろこびになるかもしれないので、『嬉しいけれど、冷静でいなくちゃ』っていう感じでした。一緒にいた夫も同じ思いだったみたいです」

その後、病院へ行くと、2人の予想通り妊娠していました。

「妊娠中は一通りの苦労を味わいました。入院するほどのところまではいっていませんが、とにかく耐え抜いたという感じです。普段は忙しい夫も、仕事がないときは相当頑張ってサポートしてくれていました。出産に関しては、子宮筋腫の除去手術をしていたこともあって、帝王切開を選びました」

1週間の入院後、生まれてきた赤ちゃんとともに退院したナミコさん。ちょうど週末だったこともあり、週6勤務だったタクミさんもこのときばかりは4連休を取り、サポートにあたってくれたといいます。

「出産した最初の1ヶ月だけは、必ず毎週土日に休んでくれました。ただ、それ以降は割と通常業務に戻っていきましたね。私の両親に関しては、遠方に住んでいるので来られなくて、夫のほうの両親も、夫のきょうだいが同じ時期に子どもが生まれた影響で、なかなかこちらには来られない状況でした。だから本当にずっと私が1人で面倒をみていたという感じです」

とはいえ、タクミさんが非協力的だったわけではないようです。ナミコさんが寝る時間を確保するために、ミルクを作ってくれたり、世話役を買って出てくれたこともありました。しかし……。

「夜泣きがけっこうすごい子で、夫もどうにかしようと頑張っていたんですが、仕事に支障が出てきかねなかったので、赤ちゃんのお世話はすべて私が担当することにして、それ以外の家事の部分でフォローしてもらうことにしました。基本的には週6日で本当に忙しいなか、目一杯に手伝ってもらっていると思っていて、夫にはいつも感謝しています」

残った受精卵。今でも、そのときのことを思い出すと、涙が出てくる

漠然と「子どもは2人」というイメージを持っていたナミコさんですが、実際に1人目を妊娠・出産してから、その考えは改めたようです。

「(2人目の妊娠・出産を目指すと)まずは、1人目に我慢させることが増えるんだろうなということが、容易に想像できました。つわりもしんどかったし、1人目よりもさらに高齢妊娠になるので、切迫になる可能性も高いですよね。2人目の妊娠期間中の子育てを考えると、5歳くらい空けたほうがいいけれど、それだと私自身の年齢が難しくなってくるので……」

不妊治療をして授かった子なのに、我慢させるのはどうなんだろうか。そんなふうな会話も、夫婦のなかで飛び交ったそうです。この1人の子を大切に育ててあげるということも、大事なのではないか、と。そうした話し合いをしたのは、2回目の採卵で残った受精卵があったためでした。

「その受精卵をどうしようか、という話は避けては通れない部分でした。特にそれらの受精卵のグレードも聞いて、良い状態だということも知っていたので、戻してあげたいという思いがなかったといえば、嘘になりますね。非常に悩みました。保管期限のギリギリまで、『産みたい』と『無理だよね』を行ったり来たりしていました」

いっそのこと誰かにあげたいとすら思ったと、ナミコさんは言います。

「本当に破棄するという書類が書けなくて……。でも、2人で話し合いをして、2人目をつくる気がないのであれば、(保管期限を延長して)保管しておくわけにはいかないよねっていう話も出て。精子バンクじゃないですけど、そういう仕組みがあればあげたいとすら思いました」

今でも、そのときのことを思い出すと、涙が出てくるほど悩んだとナミコさんは話します。

「(受精卵が)我が子のような感覚にもなっていたので、どんな形であれ戻してあげればよかったのかもしれない、と振り返ることもあります。だけど、それで本当に2人目ができたら、自分たちだけでなく、周りにも迷惑がかかるし、やっぱり諦める以外の選択はなかったよね、みたいな感じで行ったり来たり。SNSの投稿や不妊治療の広告とかが目に入ってしまうと、そうした思いがどうしても頭を巡ってしまいます」

気が済むまで悩むだけ悩んで……。「生まれてきてくれてありがとう」

受精卵をめぐって夫婦で話し合うなか、夫であるタクミさんのほうは、どのような思いを抱き、どんなことを語っていたのでしょうか。

「残った受精卵を〝どうしようか〟という話を夫婦でしたときに、夫が言っていたのは、『気が済むまで悩むだけ悩んだらいい』ということでした。もちろん突き放した言い方ではなくて、どんな決断だとしても自分としてはナミコを尊重するよという感じで。そんなふうにして、破棄書類と向き合っていたら、あるとき書類の最後に『破棄された受精卵は、院内での研究活用に使用させていただけませんか?』という文言があるのに気づいたんです。『はい』『いいえ』に丸を付けるようになっていました。それで、こんなことが書いてあるよと夫に見せたら、『誰かにあげることができないならば、せめて研究用に使ってもらえれば、誰かの役に立つだろうし、ナミコの気持ちも前向きになるんじゃないか』と言ってくれました。最終的には、『はい』に丸をすることでどうにか気持ちの折り合いをつけ、破棄書類のサインをしました」

そうした経験を経た現在、ナミコさんにはより強く、第一子について思うことがあります。「ありきたりな表現かもしれないけれど」と前置きをしたうえで、こう話します。

「本当に、第一子を見るたびに、生まれてきれくれてありがとうという思いを持ちます。生まれてきたこと自体、もう奇跡だなっていうのを強く感じますので」

さらに、2人目の壁や不妊について悩む人に向け、こうも話してくれました。

「こんなふうに悩みすぎている自分が言うのも説得力に欠けるのかもしれないけれど、ある程度悩むことは必要なのかなと思います。夫婦で納得のいくまで話し合って、2人で悩むことは、決して無駄なことではないかなって。もちろん悩みすぎて、思い詰めちゃうのは良くないですけれど、基本的には迷っていいのではないでしょうか。特に2人目となると、自分だけではどうしようもならないことが多くなってくると容易に想像できますので、特に夫婦での意見交換が不可欠だと感じます」

いかがでしたでしょうか。今回、栗林さん夫婦がインタビューに応じてくださったのは、2人目を諦めた人の率直な意見が、「ほかの誰かの役に立てれば」という理由からです。

妊娠・出産を諦めるという苦渋の決断をしたお二人のご意見やエピソードが、みなさんの少しでも役立つことを願っています。