本連載は、女性(妻)の働き方や生き方に合わせて、男性(夫)側の働き方や生き方を変えたという子育て家庭の話を紹介するものです。

今回、そして次回にわたってご紹介するのは、関西の大学で教員を務める妻と、その妻を支えるため、大学進学以来ずっと住み続けた関東地方から関西へと移り住んだ夫、という片岡さん夫婦の話です。
(※本連載に出てくる名前はすべて仮名です)

病気で人生を見つめ直したとき、手に入れたくなったもの

「毎日朝から夜遅くまで働いていた“生きがい”ともいえる仕事を辞めたとき、僕は妻をサポートする人生に切り替えたんです」
そう話すのは、片岡さん夫婦の夫・ケイスケさん(48)。現在は大阪にあるIT関連企業でシステム・エンジニアとして働いています。
ケイスケさんがこのIT関連企業で働き出したのは、約6年前のこと。それ以前、最初に働いていたのは、茨城県にあるITベンチャー企業でした。
「コンピューターに触っていれば幸せという感じで、とにかくソフトウェアづくりが楽しい日々でした」。小さい頃から大のつくコンピューター好きだったケイスケさんは、青春時代を捧げるかのごとく、たくさん働き続けました。気付けば30歳をとうに過ぎ、良いお年頃に。そんなある日、青天の霹靂のごとく舞い降りてきたのは“恋愛の神様”ではなく、“病気”でした。
「ずっとパソコンの前に座っていたこともあって、頚椎椎間板ヘルニアになって、手術をすることになりました。安全な手術とはいえ、全身麻酔をして、体にメスを入れるわけですから怖いじゃないですか。何かあったら、このまま目を覚まさずに死ぬんだって思ったときに、初めて自分の人生や将来について深く考えたんです」
そのとき思い浮かんだのは、実の妹の姿。3つ離れた妹は、すでに結婚し、子どもも生まれていました。そうした家族の姿が、純粋に「いいなぁと思った」のだそうです。

長年付き合った彼氏と結婚目前で別れたワケ

一方、現在は関西で有数の大学で教員を務めるミカさん(46)は、大阪生まれ大阪育ちという生粋の関西人。博士課程を終え、就職先が決まる20代中盤までずっと関西で過ごし、就職先も関西を希望していました。
「とにかく関西から離れたくなかったですね。10代の頃から付き合っていた彼氏もこっちの人でしたし……」
しかし、その当時、研究職関連の就職事情は厳しく、なかなか希望する就職先が見つかりませんでした。そんな中、ミカさんがようやく見つけ出したのは、首都圏にある研究機関。ミカさんは、そのときの心境について、「当時、お世話になっていた恩師に、『本当は行きたくありません』って泣きついていました」と言います。しかし、好条件の研究環境が整っていることなどから、後ろ髪を引かれる思いで、関西を離れることにしました。
その後、30歳という節目が近づいてくると、結婚を意識し始めます。当然、その相手は長年付き合ってきた関西の彼氏。ミカさんは、「遠距離だけど、結婚しようと思った」のですが、そうした思いとは裏腹に、別れる道を進むことになります。
「向こうの親に、すごく反対されたんです。そのとき向こうの親は、『仕事なんか選ばなければ関西でいくらでもあるやん』って言っていたそうです。私は研究者として働きたいし、やりたいことがあります。彼は、そのことを十分理解していたはずなのに、その親の言葉をそのまま私に伝えてきたんです。パートナーが翻訳機となって、両者を繋いでくれなかったら、うまくいくわけありませんよね。このときの会話がきっかけで別れることを決意しました」

2人が出会ったのは“合理的”な婚活サイト

病気を患ったことで自らの人生を見つめ直し、家族を築きたいという思いを抱いたケイスケさん。30歳を目前に結婚と真剣に向き合ったことで、長年付き合ってきた彼氏と別れたミカさん。そんな2人が出会ったのは、婚活サイトでした。でも、いったいどのような経緯で2人は婚活サイトを利用し、実際に出会うことになったのでしょうか?
30代中盤になるまで、ずっとパソコンとばかり向き合ってきたケイスケさんは、「病気を経て、結婚したいなって思い始めたんですけど、どうしたらいいかわかりませんでした。そのとき目に留まったのが婚活サイトです。これならどうかなと、思い切って登録してみました」と言います。
登録後、実際に会ったのは2人。1人目は実際に会って話してみると、話がうまく噛み合いませんでした。ケイスケさんは、その原因を分析してみたそうです。
「その人は専業主婦になりたい願望が強かったんです。で、僕は仕事をするっていうところの感覚が、一緒の人じゃないとダメなんだなって思いました」。そこでケイスケさんは、次に「結婚後も仕事をしたい女性」を探しました。そしてたどり着いたのがミカさんだったというわけです。
結婚願望があり、子どもも欲しかったミカさんのほうも、長年付き合ってきた彼氏と別れたことで、積極的にパートナー探しを始めました。合コンにも参加しましたが、自分の研究の話をすると、「教育関係? みたいな反応ばかりで……」と、なかなかうまくいきませんでした。そこで、「物は試し」と婚活サイトに登録してみたのだといいます。
そして最初にミカさんに交際を申し込んできたのが、ケイスケさんでした。
「ぶっちゃけ、お互い顔が好みだったんですけど、実際に会ってみたら、2人して首を傾げて『あれー?』みたいな。修正はしてないんですけど、やっぱり一番写りの良い写真を選びますからね」と笑って当時の第一印象を話すミカさん。
「ただ、パートナーを探すのには、すごく合理的だなって感じました。たとえば相手が仕事をすることに対して、仕事をしてほしいのか、できれば家庭に入ってほしいのかとか、子どもが欲しいかどうか、欲しいなら何人がいいかとか、親との同居は必須かどうかとか、聞き出すのがけっこう大変だったりすることを書く欄があるので、いろんな手間が省けるというか。良いサービスだと思います」
このようにして、婚活サイトを通じて2人は出会ったのでした。

“生きがい”といえる会社を辞する決断をした理由

その後、数年の交際を経て結婚をしたケイスケさんとミカさん。すでに書いた通り、2人とも「子どもが欲しい」ということで一致していました。しかし、夫婦の生活が始まり、しばらくすると「このままじゃ私は子どもが産めません」とミカさんは訴えることになります。ケイスケさんの仕事が忙しすぎたからです。
「結婚したので、私の職場の寮で一緒に住むことにしました。でも、そこから夫の会社までが遠くて、通勤に1時間半以上もかかるうえに、朝の6時に家を出て、終電が終わった夜中に帰宅するような日々が続いて……。こんな生活だったら、ぜんぜん無理だと思って、『このままじゃ私は子どもが産めません』って率直に言いました」
そのときケイスケさんが勤めていたのは、大学を中退した自分を採用してくれ、病気を患ったときにも全面的にバックアップもしてくれ、さらに尊敬する上司もいたITベンチャー企業。30代中盤で結婚することを決意するまで、20代からの人生のほとんどを捧げてきた、“生きがい”とも言える会社でした。ケイスケさんは悩みに悩みました。が、最終的には「転職」という結論を出しました。
自分と妻の人脈をフルに稼働して、なんとか大手関連のIT企業への就職口を見つけ出し、ケイスケさんは見事に中途採用されました。その結果、住んでいる寮からの通勤時間が大幅に減ったばかりでなく、労働環境も格段に改善されました。
「お世話になってきた会社を辞めることについては、実の父に道義的な意味から反対されました。それでもその会社を辞めることに決めたのは、妻と生きる人生、共に家庭を築く人生を選んだからです。毎日朝から夜遅くまで働いていた“生きがい”ともいえる仕事を辞めたとき、僕は妻をサポートする人生に切り替えたんです」と、ケイスケさんは言います。
一方のミカさんは、そのとき研究者としてステップアップを踏むため、関東にある別の大学にある研究室に進む方向に動いていました。その研究室の上司になる予定の教授からは、「子どもが欲しい」ということを素直に伝えたところ、「どうぞ、どうぞ」と好意的な反応が返ってきていたこともあり、ケイスケさんと「家庭を築く」ということが、現実的になっていました。
しかし、ケイスケさんが転職して数ヵ月後、1本の電話がかかってきます。それは、現在勤めている関西にある有数の大学で教鞭を執る、関西時代の恩師からの電話でした。
「ようやくうちの組織でポストができた。今度公募を出すから受けてみないか、という電話でした。話が進んでいる関東の大学のほうは任期がありましたが、そっちは任期なし。研究環境も日本でトップクラスです。でも、私の返事は即答で、『行けません』でした。夫も転職してくれて、私の次の就職先も決まりかけていて、という段階でしたから、当然そうなりますよね」
この電話の件について、ミカさんはケイスケさんに「さすがにこの話は現実的ではないよね」というニュアンスで報告をします。しかし、ケイスケさんから返ってきた答えは、意外なものだったのでした。その回答とは? そして、現在2人のお子さんを持つ片岡さん夫婦の、類まれな子育てエピソードとは? 次回のお楽しみに!

遠藤由次郎
フリーのライター兼編集者
1985年静岡県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスに。子ども2人の父親。自宅などで主に書籍の編集やライティングに携わりながら子育て中。研究者である妻の所属研究機関の変更を機に、2017年2月より拠点を東京から京都に変えている。